ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない
過酷な職場で煉獄のような日々を送る人に、元気を与えるユニークな物語は、2チャンネルの書込みから生まれた実話を基にしている。ニート生活から母親の死で一念発起した26歳のマ男は、プログラマーとして就職活動を行なう。だが、中卒の彼をようやく採用してくれたIT企業は、サービス残業・徹夜・ありえない仕事量など、超過酷でトンデモナイ職場。いわゆるブラック会社での毎日に、マ男は心身ともに限界に達していく。
この長いタイトルが、映画の中身の大半を物語る。ピラミッド型の構造は、どんな業界でも同じだろうが、IT企業のそれはかなり過激だ。問題企業の実態が、誇張とも現実ともとれるディテールで描かれるのが笑える。だが、納期を目指して毎日デスマーチ(死の行軍、通称デスマ)が続くさまは笑い事ではない。クセ者ばかりの社内の人間模様を、三国志の登場人物に例えて説明するアイデアが冴えている。思わず、山崎豊子センセイに小説化してもらいたくなる業界の実情なのだが、映画はあくまでも軽さを忘れない。ここが若者にアピールできる点だ。ただ、現在、100年に一度の不況の只中、死ぬほどツライ職場でも働けるだけありがたいというご時世なので、物語のアピール度はビミョーではある。それでもニートから抜け出し、自分なりに成長した主人公には拍手を送りたい。もうちょっと頑張れるかも。見終わってそう思えればしめたものだ。
【65点】
(日本/佐藤祐市監督/小池徹平、マイコ、田中圭、他)
(過酷度:★★★★★)
「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」オリジナル・サウンドトラック
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イングロリアス・バスターズ
ナチスやヒトラーと、その打倒を描いた映画は多いが、この作品はスタンスといい、切り口といい、まったくもって奇想天外だ。歴史的な事実を背景にしてはいるが、史実通りに描く気など、タランティーノには微塵もない。1941年、ナチス占領下のフランスで、家族を虐殺されたユダヤ人少女ショーシャナは、間一髪で逃げ延びる。成長した彼女は映画館を経営しながらナチスへの復讐を誓っていた。一方、イングロリアス・バスターズと呼ばれる連合軍のならずもので構成された極秘部隊は、レイン中尉をリーダーに次々にナチスを血祭りにあげて独軍をふるえあがらせる。独人美人女優で二重スパイであるブリジットの情報をもとに、ある極秘ミッションが計画されていたが、それはショーシャナにも復讐のチャンスとなる。
何しろバスターズのやることときたらナチスに負けず劣らず残虐だ。頭の皮をはいだり、傷口に指を突っ込むなどの残酷な描写が平気で登場する。タランティーノの十八番であるペチャクチャと続く無駄なおしゃべりはもちろん健在だが、今回は、主要人物が、次から次へと死んでいく先読みできない展開がすごい。ここには映画的な善人は一人も存在せず、誰かに単純に感情移入することは許されない。ナチスと彼らがやった行為はだれもが憎んでいるのは事実。そして劇中でも描かれるように、ナチスが映画をプロパガンダとして最も重視していたことも。この二つをブレンドし、タランティーノは、現実ではできなかったヒトラーへの復讐をものの見事にやってのけた。しかも映画という最強の武器を使って。こう考えると、この戦争アクションは、痛快ファンタジーと呼ぶ方がふさわしい。タランティーノの偏愛するマカロニ・ウェスタンや数々の往年の名作へのオマージュもてんこもりだ。はたして最後に笑うのは誰? ナチスをとことん映画で遊び倒したタランティーノか。いや、勝者は映画そのものだと考えてこそタランティーノの映画愛に応えることになると信じる。
【75点】
(原題「INGLOURIOUS BASTERDS」)
(アメリカ/クエンティン・タランティーノ監督/ブラッド・ピット、メラニー・ロラン、クリストフ・ヴァルツ、他)
(死亡率度:★★★★☆)
イングロリアス・バスターズ オリジナル・サウンドトラック
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なくもんか
相変わらずのハイテンション、コロコロと変化する物語、人情とバカバカしさが同居する本作は、勢いだけが勝負のような作品だ。幼い頃に生き別れた兄・祐太と弟・祐介はお互いの顔も名前も知らずに育つ。東京下町・善人通り商店街でハムカツが名物の店を切り盛りする祐太は、誰に対しても親切をモットーに生きていた。お人好しの祐太、突然実家に戻った初代店主の一人娘・徹子、さらに赤の他人を兄としてお笑い芸人コンビでブレイクした弟の祐介の運命と再会劇は、意外な方向へと転がっていく。
情報量過多のクドカンの脚本を、阿部サダヲのテンションの高い演技で活写しているが、こう何から何まで詰め込まれてはかなわない。親切なようでいて祐太を利用する商店街の人々の存在や、徹子がプチ整形で美人になる設定、ハムカツのエコ化など、無くてもいいことが山ほどあって、楽しいというより疲れを誘う。家族の絆をテーマにしているのは分かるが、どれをとっても絆を感じないのだ。焦点がぼやけた家族写真のような印象を受ける。むしろ、作り話で売れまくる芸能界のからくりや、本物ではない兄と弟の関係性など、「ニセモノ」の面白さとアイロニーが際立っている。記憶に残るのは、いつも笑っているのに、根っこの部分はまったく笑っていないとのセリフ。ニセモノというキーワードで見ればこの映画も興味深い。
【40点】
(日本/水田伸生監督/阿部サダヲ、瑛太、竹内結子、他)
(ドタバタ度:★★★★☆)
映画「なくもんか」オリジナル・サウンドトラック
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きみに微笑む雨
日本でも人気の韓流スター、チョン・ウソンが演じる大人のラブストーリーは、ホ・ジノ監督らしい静かなタッチの佳作だ。出張で中国・四川省の成都に来た韓国人ビジネスマンのドンハは、観光名所の杜甫草堂でガイドをしている友人メイと再会する。米国留学時代、互いに恋心を抱いていた二人は再び惹かれあうが、メイにはある秘密があった。
ホ・ジノの恋愛映画は、いつもじんわりと心に染み入る。本作もロマンチックな中に、現実の痛みを描きこんで美しい物語になった。舞台を四川大地震から1年後の成都にしたのが効果的で、緑あふれる自然と地震の爪あとという相反する要素が物語を際立たせている。年老いてはいないが、学生時代のように無邪気な恋はできない。そんな二人の、微妙な距離感がいい。互いに惹かれあっているのにストレートに伝えられない感情のもどかしさは、母国語ではない英語で会話することがぎこちなさを絶妙に表している。ちょっとおくてだが誠実で無骨な男性を、チョン・ウソンが清潔感溢れるイメージで演じれば、ワケありの四川美女をカオ・ユアンユアンが重くなりすぎずに静かに表現する。特別に大げさなセリフや説明的な描写、不幸を売りにした泣きが入るわけではないのに、二人のやるせない感情が手に取るように分かるのは、ホ・ジノ映画の最大の魅力だ。とかく感情が激昂する韓国映画のラブストーリーは苦手なのだが、この静けさ、何とも好ましい。幸福を予感させるラストも何気ない演出で、メイがちゃんと自転車を使っているのがチラリと見えるのが嬉しかった。
【70点】
(原題「好雨時節」)
(韓国・中国/ホ・ジノ監督/チョン・ウソン、カオ・ユアンユアン、他)
(ナチュラル度:★★★★★)
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ウェイヴ
ヒトラーは最悪の独裁者。ファシズムなど許されない。頭では分かっていたのに、若者たちは、あっというまに独裁の魔力に取り込まれて狂気に走る。これが実話に基づいているというから背筋が凍った。ドイツのとある高校で、ベンガーという教師が、生徒と共に心理実験を行なう。それは、いくつかのルールをつくり独裁制を学ぶものだが、教師の予想を超えて独裁制に魅せられた生徒たちは、学校内外で過激な活動を行なうようになる。
タイトルのウェイヴとは、ファシズムにのめりこんでいく生徒たちの集団の名前だ。彼らが教師を指導者とするその実験に夢中になり、全体主義者になってしまうまで要する時間はわずか5日間。白いシャツとジーンズという揃いの服を身に付けるだけで、集団の団結が芽生える半面、それ以外のものを排除する思想も生まれる。簡単な服装の実験だけでこの有様だ。実験と分かっていても、教師が演じる強い指導者に従い、思考能力を失くしてい恐ろしさ。集団に守られながら、誰かの指示に従っていれば安心という短絡的な発想が独裁制の根底にあるということがはっきりと分かる。いじめられっ子の少年が独裁によって居場所をみつけ人格が激変、やがて悲劇の引き金を引くことに。実験を始めた教師でさえ、自分の内に秘めた狂気があぶり出され、すべてを阻止しようと思ったときには時はすでに遅かった。ヒトラー政権とナチズムが誕生するには、より複雑な歴史的事情があるが、誰もが悪と学んだはずのファシズムは簡単に“生きかえる”とこの映画は教えてくれる。衝撃的で恐ろしい内容だが、目をそむけてはならないだろう。この作品がドイツから発せられた意義も含めて。
【70点】
(原題「DIE WELLE THE WAVE」)
(ドイツ/デニス・ガンゼル監督/ユルゲン・フォーゲル、フレデリック・ラウ、マックス・リーメルト、他)
(戦慄度:★★★★☆)
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笑う警官
角川春樹が11年ぶりにメガホンを取ったことが話題のサスペンスだが、社会性より娯楽性が際立つエンタメ映画になっている。札幌市内のアパートで女性警官の変死体が発見される。すぐに元交際相手の巡査部長・津久井に容疑がかけられ、異例の射殺命令までも下される。一連の流れに何かしらの秘密を感じた所轄警部補・佐伯は、信頼できる仲間たちと極秘で捜査を行なうが、彼らはこの事件の裏にある警察内部の隠された闇に踏み込んでいく…。
原作は佐々木譲の「道警シリーズ」の第1作で同名のベストセラー。実際に北海道で起きた警察の汚職事件を基にしているというから、リアリティが感じられる。女性警官殺人事件の犯人に仕立て上げられた巡査、秘密の顔を持つ死んだ女性警官、上層部の思惑や仲間の裏切りなど、登場人物は善も悪もすべて警察というから徹底している。なぜ津久井が犯人にされるのかという謎が事件の鍵となるが、二転三転しながら進む物語には、市民の安全を守る警察の顔はまるでなく、ひたすら金銭と権力に固執する醜い人間模様ばかりで気が滅入る。今や、正義などというものは都市伝説なのか。ジャズを随所に取り入れるなど、大人のムードを醸し出したところや、クライマックスの盛り上げ方など、いかにも往年の角川カラー。だが、最後の最後に見せる意外な人物の“笑い”は、やりすぎではないのか。ほとんど笑顔をみせず沈うつな表情の登場人物たちの中で、若い刑事役の忍成修吾が復活を誓うのがせめてもの救いだ。
【60点】
(日本/角川春樹監督/大森南朋、松雪泰子、宮迫博之、他)
(どんでん返し度:★★★★☆)
笑う警官 (マンサンQコミックス)
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試写室だより 09.11月上旬
「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」が好評につき当初の2週間限定公開を急きょ延長しました。大ヒットを受けての嬉しい措置ですが、MJの急死で、即刻この映画を作って、世界中で爆裂ヒットさせるあたり、映画界と音楽界両方の、アメリカのショービジネス界のしたたかさを感じます。
最近見た主な映画は以下。
「オーシャンズ」「かいじゅうたちのいるところ」「ウルルの森の物語」
「スノープリンス」「板尾創路の脱獄王」「今度は愛妻家」などなど。
映画館で上映前に流れる「NO MORE 映画泥棒」。
映画の映像や音声を不正に録画・録音する行為には、罰金が科せられるとの警告です。
これ、実は試写室でも流れるんです(毎回ではありませんが)。個人的には、試写室では必要ないんじゃないか…と思うんですが、まぁ、大切な警告なのでそれは良しとしましょう。
…で、先日も、某映画の前にこの「NO MORE 映画泥棒」が流れたんですが、何かのミスで、この部分が無音だったんです。ちょっと想像してみてください、顔がビデオの背広男のクネクネダンスが無音で流れる様子を。不気味でしたよぉ〜。ちなみに本編ではきちんと音が流れて、一同ホッと胸をなでおろしました(苦笑)。
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Disney's クリスマス・キャロル
誰もが知るディケンズの名作が、最新技術を駆使したユニークな映像で蘇った。家族も持たず、人との絆も信じられず、ただ金銭欲を満たすために生きる老人スクルージ。街一番の嫌われ者の彼のもとに、クリスマス・イブの夜、元ビジネス・パートナーの亡霊が現われ、スクルージに「過去・現在・未来をめぐる時間の旅へと連れ出す3人の亡霊にとりつかれる」と予言する。翌日から一夜ずつ現われた亡霊と共に、彼が見たものとは…。
俳優の演技をデジタル化する“パフォーマンス・キャプチャー”は、実写でもアニメでもない不思議な手触りの映像だ。ゼメキスは「ポーラー・エクスプレス」や「ベオウルフ」でもその技術にこだわった。今回、主人公をはじめ一人7役を演じるのはジム・キャリー。この人の多芸ぶりと表現能力は、複数の役を演じることに向いている。物語は、有名なものだが、不安と不況の現代にこそ、この物語の持つ「あたたかい心を忘れないで」というメッセージが必要だというのがゼメキス監督の言わんとするところだ。金がすべての嫌われ者が、究極のタイムトラベルによって、自分の孤独と周囲の親切や困窮に気付いていく姿を、順を追って描く。最新デジタル技術の冴えを見せるのは、灯のような過去のクリスマスの亡霊の表現。変幻自在のその姿は幻想的だ。だが映像が全体的に予想以上におどろおどろしく、ホラー・ファンタジーのようだったのが意外。子供にとってはちょっと怖いかも…と心配になる。ひどいことをすると怖い目に遭いますよという昔ながらの教訓という意味ではオーソドックスな手法なのだが。終盤、主人公がいきなり“いい人”になり改心するのはいかにも教訓めいていて少々鼻につくが、クリスマスの物語にこれ以外の展開は許されない。素直に聖夜を祝うためにも。
【60点】
(原題「Disney's a Christmas Carol」)
(アメリカ/ロバート・ゼメキス監督/ジム・キャリー、ゲイリー・オールドマン、ロビン・ライト・ペン、他)
(教訓度:★★★★☆)
クリスマス・キャロル (竹書房文庫)
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ゼロの焦点
2009年に生誕100年を迎える社会派ミステリーの巨匠・松本清張。初期の傑作を映画化した本作は、原作にはない新たな要素が加わっている。昭和30年代、禎子は、見合いで鵜原憲一と結婚。しかし式から7日後に、夫は仕事の引継ぎに向かった前任地の金沢で行方不明に。禎子は夫を探すために冬の北陸へと向かう。地元の名士の夫人である佐知子や、どこか影がある受付嬢の久子と出会うが、夫の行方は分からず、時を同じくして連続殺人事件が起きる。
物語は、戦後のオキュパイド・ジャパン(米軍占領期)の悲劇だが、21世紀に改めて映画化するのに、現代とつながる要素を盛り込めなかったのが何より惜しい。回想形式など、何か方法があったのではと思うが、いずれにしても、この話は、戦争や見合い結婚という昭和の時代背景抜きには語れない。連続殺人事件で殺された人間は、皆、夫の憲一とかかわりのある人物だったことから、やがて妻が知らなかった夫の過去が見えてくるという展開は、オーソドックスだがスリリングである。夫婦といっても元は他人同士。現代でも相手のことをすべて知っているかと問われれば疑問だろう。新しい時代を迎え、幸せを探してもがく女性たちが、過去に囚われる運命は、あまりにも切ない。演出は非常に手堅く、物語も分かりやすい。3人の女優たちは、皆美しく存在感がある。ただ不満なのは、広末涼子の声とナレーションだ。この人は演技やたたずまいはいいのだが、あの舌足らずの話し方がどうにもよくない。哀しい秘密と動機ゆえに暗い闇に落ちていく物語が、あの声で語られては興ざめだ。1961年に野村芳太郎が映画化した時のヒロインは久我美子。柔らかく独特の深みがある大女優の声と比べるのは酷だろうか。冷たく暗い北陸の風景が悲劇を象徴するかのようで、凄味があった。
【65点】
(日本/犬童一心監督/広末涼子、中谷美紀、木村多江、他)
(オーソドックス度:★★★★☆)
「ゼロの焦点」オリジナル・サウンドトラック
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映画レビュー「脳内ニューヨーク」
Synecdoche New York [Original Motion Picture Soundtrack]
◆プチレビュー◆
摩訶不思議系エンタテインメント。内容はひとりよがりだが、カウフマンの非凡な才能が垣間見える。 【65点】
NYに住む人気劇作家ケイデンは、ある日突然、妻と娘が出て行き途方に暮れる。そんな時、名誉あるマッカーサー・フェロー賞受賞の知らせが。ケイデンは人生を立て直すため、賞金で壮大な芸術プロジェクトを開始する。
この映画の原題は「SYNECDOCHE,NEW YORK」。SYNECDOCHE(シネクドキ)とは、提喩法という修辞技法の一種で、一部で全体を、全体で一部を表すことである。例で説明してみるとこんな感じだ。「花見」の花は通常、桜のこと。花という全体で桜という部分を表す。また「人はパンのみにて生きるにあらず」のパンは部分で、これは食事全体を指している。このように、全体と部分を使って、ある概念を表現する方法が、シネクドキだ。それがどうした?と言わないでほしい。本作を理解する上で、この言葉こそがランドマークとなる。
ケイデンのプロジェクトとは、NYにある超巨大な倉庫の中に、自分の頭の中に思い描くNYを作り出すという前代未聞のもの。この舞台構想には、現実と芝居、妄想までもがごちゃまぜになり、物語は独創的かつワケのわからない方向へと転がっていく。何しろこの演劇は、主人公が真実を模索するあまり、未完成のまま17年もの歳月がたつのだから尋常ではない。
そもそもケイデンにとっての真実とやらが、問題だ。現実世界では、再婚した妻クレアを愛するが、最初の妻アデルにも未練たっぷり。だが生涯をかけて愛した女性はヘイデルで…と、ややこしい。演劇世界では、そんなケイデンを舞台で演じるサミー(男性)やミリセント(女性)を演出しつつ、自分はいったい何者か?と悩み抜く。演出家がこの状態では、舞台の幕は開くはずもない。
それでも何とかストーリーを理解しようと思えば出来ないことはない。語り口は突飛だが、映画で描かれる虚実ないまぜの物語はすべて、主人公が思い描いた、やり直したいと願う人生の芝居だという解釈が最も妥当だろう。
監督のチャーリー・カウフマンは、過去に脚本家として「マルコヴィッチの穴」や「エターナル・サンシャイン」などで魅力的な世界を構築してきた才人だ。時空を超えた非凡な物語に魅了されたファンは多い。本作は、その彼が満を持して監督業に挑戦したもので、内と外が曖昧になる世界観がある種の到達点に至った作品と言える。さっぱりワケがわからないが、いつしか独特のイマジネーションに絡みとられる。思えばフェリーニの「8 1/2」や、勅使河原宏が監督した安部公房の作品群を見たときも同じ感覚を覚えたものだ。
舞台という“部分”を作ることで、人生という“全体”を生きる。あるいはその逆も。主人公の脳内は、常にシネクドキ(提喩法)だ。私自身は、この映画は主人公の見た白昼夢で、壮大なNYを創ろうとしながら結局は自分自身の内面に向かうという解釈が一番しっくりくるのだが、カウフマン自身が夢の世界ではないと断言している。だが「夢で見た世界を素直に受け入れるように、この映画を受け入れてほしい」とも語っている。手強い映画ではあるが、夢のように…なら、楽しそうだ。シネクドキ風に考えれば、どんな突拍子もない内容や解釈も、それが映画全体を支える大切な部分になるかもしれないのだから。
(シネマッシモ評価:★5つが満点)シュール度:★★★★★
□2008年 アメリカ映画 原題「SYNECDOCHE,NEW YORK」
□監督:チャーリー・カウフマン
□出演:フィリップ・シーモア・ホフマン、ミシェル・ウィリアムズ、サマンサ・モートン、他
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