映画レビュー「脳内ニューヨーク」
Synecdoche New York [Original Motion Picture Soundtrack]
◆プチレビュー◆
摩訶不思議系エンタテインメント。内容はひとりよがりだが、カウフマンの非凡な才能が垣間見える。 【65点】
NYに住む人気劇作家ケイデンは、ある日突然、妻と娘が出て行き途方に暮れる。そんな時、名誉あるマッカーサー・フェロー賞受賞の知らせが。ケイデンは人生を立て直すため、賞金で壮大な芸術プロジェクトを開始する。
この映画の原題は「SYNECDOCHE,NEW YORK」。SYNECDOCHE(シネクドキ)とは、提喩法という修辞技法の一種で、一部で全体を、全体で一部を表すことである。例で説明してみるとこんな感じだ。「花見」の花は通常、桜のこと。花という全体で桜という部分を表す。また「人はパンのみにて生きるにあらず」のパンは部分で、これは食事全体を指している。このように、全体と部分を使って、ある概念を表現する方法が、シネクドキだ。それがどうした?と言わないでほしい。本作を理解する上で、この言葉こそがランドマークとなる。
ケイデンのプロジェクトとは、NYにある超巨大な倉庫の中に、自分の頭の中に思い描くNYを作り出すという前代未聞のもの。この舞台構想には、現実と芝居、妄想までもがごちゃまぜになり、物語は独創的かつワケのわからない方向へと転がっていく。何しろこの演劇は、主人公が真実を模索するあまり、未完成のまま17年もの歳月がたつのだから尋常ではない。
そもそもケイデンにとっての真実とやらが、問題だ。現実世界では、再婚した妻クレアを愛するが、最初の妻アデルにも未練たっぷり。だが生涯をかけて愛した女性はヘイデルで…と、ややこしい。演劇世界では、そんなケイデンを舞台で演じるサミー(男性)やミリセント(女性)を演出しつつ、自分はいったい何者か?と悩み抜く。演出家がこの状態では、舞台の幕は開くはずもない。
それでも何とかストーリーを理解しようと思えば出来ないことはない。語り口は突飛だが、映画で描かれる虚実ないまぜの物語はすべて、主人公が思い描いた、やり直したいと願う人生の芝居だという解釈が最も妥当だろう。
監督のチャーリー・カウフマンは、過去に脚本家として「マルコヴィッチの穴」や「エターナル・サンシャイン」などで魅力的な世界を構築してきた才人だ。時空を超えた非凡な物語に魅了されたファンは多い。本作は、その彼が満を持して監督業に挑戦したもので、内と外が曖昧になる世界観がある種の到達点に至った作品と言える。さっぱりワケがわからないが、いつしか独特のイマジネーションに絡みとられる。思えばフェリーニの「8 1/2」や、勅使河原宏が監督した安部公房の作品群を見たときも同じ感覚を覚えたものだ。
舞台という“部分”を作ることで、人生という“全体”を生きる。あるいはその逆も。主人公の脳内は、常にシネクドキ(提喩法)だ。私自身は、この映画は主人公の見た白昼夢で、壮大なNYを創ろうとしながら結局は自分自身の内面に向かうという解釈が一番しっくりくるのだが、カウフマン自身が夢の世界ではないと断言している。だが「夢で見た世界を素直に受け入れるように、この映画を受け入れてほしい」とも語っている。手強い映画ではあるが、夢のように…なら、楽しそうだ。シネクドキ風に考えれば、どんな突拍子もない内容や解釈も、それが映画全体を支える大切な部分になるかもしれないのだから。
(シネマッシモ評価:★5つが満点)シュール度:★★★★★
□2008年 アメリカ映画 原題「SYNECDOCHE,NEW YORK」
□監督:チャーリー・カウフマン
□出演:フィリップ・シーモア・ホフマン、ミシェル・ウィリアムズ、サマンサ・モートン、他
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天使の恋
大人気ケータイ小説が原作で、カリスマティーンモデル・佐々木希が初主演した純愛映画だ。飛びぬけて美しく、常に仲間の中心にいる女子高生・理央。性別を問わず誰もが彼女に夢中になるが、理央自身は過去のトラウマから他人を信じられず、お金にしか興味がない。近寄ってくる人間を利用するだけだった彼女は、17歳になったある日、35歳で無愛想な大学講師・光輝と出会い、運命的な恋に落ちる。だが光輝には彼女を受け入れられない理由があった。
援助交際やいじめ、同性愛とダーティな序盤からいきなり純愛路線へ。コロコロと態度が変わるのが10代少女の特質とはいえ、あまりの変貌は、映画の体裁としてどうなのか?!恋した理央は、金目当てのパトロンや、悪事に利用していた彼氏、同性愛の恋人まで、あっという間に関係を清算。トラブルや別れ話のもつれは微塵もないという展開には、ご都合主義という言葉を使うことさえはばかられる。もちろん純愛だけではティーンの涙は誘えないので、そこには難病という定番の不幸アイテムが。ラストはホロリとするものの、こんなコテコテのお涙頂戴ものには大人の映画ファンはドン引きするしかない。それでも佐々木希ちゃんの美貌は一見の価値ありだ。演技は学芸会並みだし、着せ替え人形のような印象しか残らないが、背中を見せて振り向くセミヌードのショットは輝くように美しい。もしかしたら明日の映画スターに化けるかもしれない、美少女ありきの映画。こういうジャンルの作品も映画の大切な側面なのだ。
【20点】
(日本/寒竹ゆり監督/佐々木希、谷原章介、山本ひかる、他)
(美少女度:★★★★★)
公式サイト
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ファッションが教えてくれること
華やかな場所に見えるファッション業界が、極めて厳しい世界であることは、映画「プラダを着た悪魔」でうかがえた。本作はメリル・ストリープが演じた鬼編集長のモデルと言われるアメリカ版「ヴォーグ」誌のカリスマ編集長・アナ・ウィンターその人と、彼女の仕事ぶりに迫るドキュメンタリーだ。1年で最も重要な秋の特大号・9月号の準備に余念がない編集長アナと、ディレクターのグレイスは、何かと対立しながらも、いくつもの特集を用意し、雑誌を作り上げていく。
ボブ・カットにサングランスがトレードマークのアナ・ウィンターは、ファッション業界の絶対君主だ。アナの姿からは、仕事に対する誇りが感じられ、彼女の高い要求に応えるスタッフにもプライドがみなぎる。絶対の発言権とトレンドを見極める眼力を持ったアナは、時に冷酷とも思えるほど、部下の仕事をボツにしていく。驚くべき決断力だが、特にアートに偏ったものに厳しい。ファッションに誇りと愛情を持ちながらも、同時にそれが莫大な利益を生むビジネスであることをこの人は熟知しているのだ。印象的なのは、頻繁に意見が対立するグレイスを疎むことなく、20年来共に仕事をしている点だ。才能ある対立者を置くことで、仕事が自分の独善になるのを律している。こういう側面があるからスタッフは彼女とその実績に敬意をはらうのだろう。出来上がった雑誌は、表紙をはじめ全てが厳選されたものになった。だが、ひとつ気になることが。チェックするのが写真ばかりなのだが、さて記事は? 文章を書くのを仕事にしている身としてはそこのところがチト気になる。無論、映画に映ってないだけと信じてはいるが。アナ・ウィンターは成功した強い女性の象徴だ。「弱点は?」との問いに「娘よ」とちょっと照れながら答えた時だけ、彼女を身近に感じられたような気がする。
【60点】
(原題「THE SEPTEMBER ISSUE」)
(アメリカ/R.J.カトラー監督/アナ・ウィンター、グレイス・コディントン、アンドレ・L・タリー、他)
(仕事の鬼度:★★★★★)
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僕らのワンダフルデイズ
平凡な中年男が末期ガンで自分の余命は半年と知る。こう聞けば、お涙頂戴ものを連想するが、しめっぽいところはほとんどない。青春時代の仲間と再結成したバンドでコンテストを目指す日々は、若い頃以上にワンダフルなのだ。主人公の藤岡徹は53歳のサラリーマン。胆石で入院したが、末期ガンであることを偶然に知ってしまう。残された日々で「家族に音(演奏)を残したい」と考えた徹は、学生時代のバンドのメンバーに声をかける。
難病ものには違いないが、実はこの話にはちょっとしたヒネリがある。主人公が過剰に嘆き悲しむ様子に、ドン引きする家族という構図から、そのオチは簡単に予想がつくのだが、物語の本筋はそこではない。歳を重ね、日常に埋没していく中で、かつての夢や輝きを忘れた男たちが、コンテスト出場という目標に向かってまい進する。音楽に夢中で取り組む様は、ちょっと遅れて始まった二度目の青春のようで微笑ましい。メンバーが現在抱える問題も盛り込み、出来る範囲で助け合う場面は、現実を知る年代の人間同士のいたわりが感じられホロリとする。ただ、学生時代のメンバーで渡米した人物の顛末を描いていないことが少し気になった。盛り上がるのは、やはりコンテストのライブ演奏だが、その後に、娘の結婚式でもう一度披露する演奏もいい。竹中直人の演技のテンションも物語にほどよくマッチ。音楽アドバイザー・奥田民生による主題歌、劇中歌ともに、シンプルなメロディが耳に心地よく残る。
【60点】
(日本/星田良子監督/竹中直人、宅麻伸、斉藤暁、他)
(笑いと涙度:★★★★☆)
「僕らのワンダフルデイズ」オリジナル・サウンドトラック
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ディセント2
低予算のカルト・ホラー「ディセント」は未踏の洞窟という舞台設定の面白さでヒットを飛ばした佳作だった。本作は待望の続編だが、続編のマンネリ感とは無縁で、なかなか出来がいい。アパラチア山脈の洞窟探検に出かけた女性6人グループが行方不明になり、サラだけが血まみれの状態で生還する。記憶が混濁し錯乱状態のサラを容疑者と疑う保安官は、彼女を連れて数人のレスキュー隊と共に問題の洞窟へと向かうが、岩の崩落で路をふさがれ孤立。彼らが目にしたのは、行方不明者の無残な死体と、洞窟の闇でうごめく謎の生き物だった。
物語の流れをつかむ上で、前作鑑賞は必須だが、そうなると洞窟の中にいる恐ろしい生き物の正体を知ることになる。だが知った上で見るからといって、それがマイナスにならないところが、この続編の優れた点だ。暗い洞窟の岩に同化して張り付く姿や残されたビデオに写るその姿にドキドキし、いつ姿を現すのかと期待が高まる。そしてついに恐ろしいビジュアルのそれが登場。「待ってましたぁ!」とばかりにテンションがあがるのだ。迷路のようなその洞窟のビジュアルは、前作以上にグロテスクである。閉塞感で息がつまりそうな場所で、疑心暗鬼になった人間の心理状態がすさまじく、彼らは次第に狂気へ駆られていく。モンスターと同じくらい人間も怖いのだ。だからこそ、終盤に描かれる自己犠牲の精神には崇高な感動を覚える。今回も、血みどろのサバイバルの果てに一人だけが生還するのだが、油断は禁物。思いもよらないどんでん返しが用意されている。どん底の洞窟も恐ろしいが、上が安全という保障はどこにもない。このブリティッシュ・ホラーの続編、かなりヤッてくれる。
【70点】
(原題「The Descent Part 2」)
(イギリス/ジョン・ハリス監督/シャウナ・マクドナルド、ナタリー・メンドーサ、他)
(サバイバル度:★★★★☆)
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ジャック・メスリーヌ フランスで社会の敵(バプリック・エネミー)No.1と呼ばれた男 Part2 ルージュ編
フランスに実在した不世出のギャング、ジャック・メスリーヌの半生を2部構成で描く大作の完結編。Part2 ルージュ編では、70年代、フランスに舞い戻ったメスリーヌが、犯罪と脱獄を繰り返したあげく“社会の敵No.1”と呼ばれるようになる過程と、壮絶な最期を遂げるまでを描く。
メスリーヌのそばにはなぜか“優秀な犯罪者”が集まるが、彼自身の個性は、大衆にアピールすることを重視したことだ。初めはそれが功を奏したが、結局はマスコミという敵に踊らされ、墓穴を掘るのが皮肉である。メスリーヌと同じ脱獄王だが、地味で内向的だった相棒のフランソワと違い、新聞の一面を飾り、アンチヒーローとして目立ちたいというメスリーヌの嗜好が興味深い。政治思想などないのに、あっさりと感化される“素直さ”。殺人さえ平気なのに、重病で入院した父親を見舞い、「何があろうとお前は私の息子だ」との父の言葉に泣き崩れる“繊細さ”。これらは、彼の矛盾した多面性が顕著な場面だ。息子としてのメスリーヌ、そして子供たちを愛してやまない父親としてのメスリーヌは、犯罪者としての顔の裏側に常にある。最後の愛人と共に遂げた壮絶な最期は、死して伝説になった彼にとっては本望だったのかもしれない。ヴァンサン・カッセルが、体重を20キロも増やして主人公を熱演。鬼気迫る演技は、仏映画が得意とするフィルム・ノワールの伝統を受け継ぐものとして映画史に残るだろう。
【70点】
(原題「MESRINE:PART 2 - L'ENNEMI PUBLIC N°」)
(フランス/ジャン=フランソワ・リシエ監督/ヴァンサン・カッセル、リュディヴィーヌ・サニエ、マチュー・アマルリック、他)
(破滅度:★★★★★)
Mesrine [Bande originale]
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ジャック・メスリーヌ フランスで社会の敵(バプリック・エネミー)No.1と呼ばれた男 Part1 ノワール編
フランスに実在した伝説のギャング、ジャック・メスリーヌの壮絶な半生を2部構成で描く大作。Part1 ノワール編では、1959年、ジャック・メスリーヌが、アルジェリア戦争で非情な戦場の実態を体験し、60年代、パリに帰還後、幼馴染に誘われて次第に悪事に手を染め、若いチンピラからいっぱしのギャングになって犯罪に手を染めていく様子を描く。
冒頭にメスリーヌの最期を映すことから、観客は彼の運命を最初から知ることになる。長い映画は、そのままメスリーヌの死へのカウントダウンだ。最初は強盗から始まったメスリーヌの犯罪は、どこかトボけたところもあって明るさが漂う。海外逃亡の末にカナダで捕まるが、やがて脱獄。映画はメスリーヌを義賊のようなイメージで描いているのが興味深い。実際、一度脱獄した刑務所を、仲間を解放するために危険をおかして襲う様子は、痛快ですらある。自分なりのルールに従って罪を重ねて生きる男が、破滅に向かうと分かっていながら犯罪の世界で覚醒していくのがノワール編だ。初体験の相手である娼婦サラの敵討ちをしたり、スペイン人の妻ソフィアを熱愛したり、愛人で相棒のジャンヌと運命的に惹かれあったりと、女性関係は常に華やかで、メスリーヌの不思議な魅力を裏付けている。32回の銀行強盗、4回の脱獄を繰り返した実在の犯罪者をドライなタッチで描くが、悪だけでは語れない複雑な人物像が面白い。
【70点】
(原題「MESRINE:PART 1 - L'INSTINCT DE MORT」)
(フランス/ジャン=フランソワ・リシェ監督/ヴァンサン・カッセル、セシル・ド・フランス、ジェラール・ドパルデュー、他)
(覚醒度:★★★★☆)
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PUSH 光と闇の能力者
別々の能力を持つ超能力者が戦ったらどうなるか。これはそんな異業種格闘技のような味わいのアクション映画だ。最強の超能力軍隊を作るため、謎の政府機関「ディヴィジョン」が暗躍する中、ニックは念動力を隠して香港に潜伏していた。そこに予知能力を持った少女キャシーが現われ、組織から逃げた女を一緒に捜してほしいと訴える。その女は大金の入ったケースと重大な秘密を握っているのだが、ディヴィジョンも彼女を狙っていた。
同じ超能力者でも、組織で戦う政府機関と違い、隠れるように生きる個人は、自分の力を堂々とは使えない。光と闇という単純な副題とは異なる事情が戦いを複雑にするが、超能力の優劣を考えると、戦術に疑問が漂う。念力で物を動かすムーブ、物体の姿を隠すシャドウ、声の超音波で人や物を破壊するブリードなど、超能力のヴァリエーションが豊富で楽しいが、パワーの個人差があるとはいえ、予知能力は、他の能力に比べるとかなり優位だ。さらに、タイトルにもなっている、別の記憶を植えつけるプッシュをはじめとする記憶を操作するいくつかの能力は強力で、それを持つ者の勝利は最初から決まっているようなもの。ややこしく危険な手順を踏み、犠牲者を出さずとも、話はつくんじゃあるまいか。同じように超能力者同士が闘う話では「X-MEN」が思い浮かぶが、本作は時代も現代で、派手なSF要素はなく、見た目も普通。実際に米政府も研究していたという超能力者の存在を信じたくなる。最終的には“風が吹けば桶屋が儲かる”的なオチなのが苦笑だが、終わってみれば無駄な闘いも、目的のためには必要なプロセスだということなのだろう。香港の狭く猥雑な空間を使って繰り広げられるバトルの映像が、スタイリッシュで面白い。ヒューマン・ドラマで実力を発揮する天才子役ダコタ・ファニングが、荒唐無稽な物語の中でもしっかりと演技力を見せるのがさすがだ。
【55点】
(原題「PUSH」)
(アメリカ/ポール・マクギガン監督/クリス・エヴァンス、ダコタ・ファニング、カミーラ・ベル、他)
(派手度:★★☆☆☆)
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大洗にも星はふるなり
妄想と勘違いをベースに繰り広げられるマドンナ争奪戦は、超ユルいテイストの謎解きミステリーだ。個性豊かな若手俳優たちの怪演と、しようもない状況設定が笑いを誘う。クリスマス・イブの夜、茨城県の大洗に男たちが集まる。彼らは夏の間、一緒に大洗の海の家でバイトした仲間だが、皆、憧れのマドンナ・江里子からの手紙でこの場所に呼び出されていた。「イブの夜、海の家で会いたい」と書かれた同じ手紙を手に、互いにけん制しあう彼らは、自分こそ江里子の本命!と主張しあい、妄想系バトルはヒートアップしていく。
自信過剰のナルシスト、鮫オタク、おしゃべり好きの海の家のオーナーなど、5人の男たちは皆、クセ者ばかり。無いに等しい根拠でマドンナの愛を確信する自己アピールが最高に笑える。海の家の撤去を求めにきて、争いを収拾してくれるはずの弁護士までもが、会ったことのないマドンナに恋してしまい、6人目として参戦してくる意外性も楽しい。敏腕にして実はミーハーなこの弁護士が、男たちの主張の虚実を、事情聴取しながら看破していくのが、ストーリーの流れだ。回想場面はあるものの、基本的には会話劇で進む本作は、小劇場の舞台を見ているかのよう。山田孝之や小柳友ら、若手実力派俳優の壊れっぷりは一見の価値ありだが、長回しに耐える熱演にも感心する。遅れてやってきた7人目でついに勢揃いしたおバカな男たち。手紙の謎が明かされ、爆笑の中にもホロリとさせられ、うっかり感動していると、ヒョイと足元をすくわれる、その楽しさ。男って、くだらなくて、やんちゃで、可愛いと、いつのまにか思えるはずだ。妄想と暴走が錯綜するこの友情コメディ、バカバカしいのに何だか憎めない。
【65点】
(日本/福田雄一監督/山田孝之、山本裕典、ムロツヨシ、他)
(ミステリー度:★★★☆☆)
大洗にも星はふるなり
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副王家の一族
イタリア映画「山猫」に日本映画「華麗なる一族」をブレンドしたような、重厚な歴史劇だ。滅びの美学を貫いたヴィスコンティの作品と決定的に異なる点は、時代をしたたかに生き抜く登場人物の生命力である。19世紀半ばのシチリア。名門貴族ウゼタ家では、絶対的な権力をふるう封建的な父ジャコモと、嫡男のコンサルヴォが激しく対立していた。母は病に倒れ、叔父は遺産を奪われ、妹は政略結婚させられるという無念を見ながら、やがて当主になったコンサルヴォは生き抜くためにある決心をする。
統一されても都市国家のカラーが色濃いイタリア、とりわけ特殊な道を歩んだシチリアの、名門貴族の愛憎劇の特徴は、変化するかに見えて根本では何も変わらないということだ。王朝支配下からイタリア統一、民主化へと時代は変わるが、映画は、時流を読んでしぶとく生き残る公爵家の権力志向を冷めた目でみつめている。父親を激しく憎みながらも一族の枠から逃れられない主人公がその象徴だ。副王とは、欧州の国王代理を務める高位の行政官のこと。ウゼタ家は、スペイン・ブルボン家の副王の末裔という設定だ。格調高い映像で描く一大叙事詩は、愛することと憎むことを同じ重みで感じさせる、獰猛な力強さがある。息子を忌み嫌う父が言う「人を鍛えるのは憎悪だ」との言葉がとりわけ印象深い。そんな父に反発しながらも同じ運命にからめとられる主人公の嘆きが聞こえてくるようだ。原作はフェデリコ・デ・ロベルトの古典小説。素晴らしい美術や衣装をたっぷりと堪能したい。
【75点】
(原題「I VICERE」)
(イタリア・スペイン/ロベルト・ファエンツァ監督/アレッサンドロ・プレツィオージ、ランド・ブッツァンカ、クリスティーナ・カポトンディー、他)
(絢爛豪華度:★★★★★)
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