映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評


【本音で語る新作映画レビュー】
シネマッシモでは、映画レビューはネタバレなしのヒントあり。映画を見る前と見た後と、2度読んで楽しめます。
映画評サイトもこのブログで4代目になりました。すべての映画好きを歓迎します!
(点数は100点が、★は5つが満点)
シネマッシモとは、シネマ(映画)とマッシモ(イタリア語でmax,最大)とを組み合わせた造語。
どうぞゆっくり楽しんでください \(^▽^)/

◎ 今週の気になる映画 ◎
「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」「ユダヤ人を救った動物園」etc.

アニマトリックス

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◆プチレビュー◆
脚本が素晴らしい「ワールド・レコード」が一番のお気に入り。アニメでしか不可能だった描写を、実写で可能にしてしまった「マトリックス」シリーズは、やっぱり凄い。

短編アニメ集「アニマトリックス」は全9話構成のオムニバス作品だ。「マトリックス」のサイド・ストーリーとも言える物語で、マトリックス3部作にからむ重要なエピソードも収録。人工知能が作り出したマトリックスという仮想現実世界の実情や、そこに住む様々なキャラクターを、独自の視点とユニークな方法で掘り下げていく。

「マト・リロ」を見に行かれる人は多いと思うが、劇中で“あれ?前作にこんなのあったっけ?”と思う部分がいくつかあるはずだ。その疑問は、この「アニマトリックス」を見れば殆どが解決する

全9話からなるエピソードは、絵柄は全て異なる作風で好みが分かれるだろうし、脚本にもかなり優劣があり、一貫性は殆どない。だが、これはこれでおもしろかったりするのだ。ウォシャウスキー兄弟は、日本のアニメに多大な影響を受けたという。日本とハリウッドのクリエーターのコラボレーションが、こういう形で実現するのも、興味深いことだ。改めて感じたが、日本の技術水準は2Dも3Dも非常に高く、もちろん脚本も凄い。いいぞ!ジャパニーズ・アニメーション!

短くも濃い物語のオンパレードだが、8話は2Dで作成。ざっと解説してみよう。
「セカンド・ルネッサンス パート1&2」は、マトリックスの誕生の背景を説明。「キッズ・ストーリー」は、自力で目覚める少年が主人公で、本編とも関連がある。「プログラム」は、シュミレーションの訓練を和のテイストでけれん味たっぷりに描くもの。「ワールド・レコード」は、思わぬ瞬間にマトリックスの存在に気付いてしまった男の末路のエピソードで出色の出来栄えだ。「ビヨンド」はマトリックスのバグ空間のゆがみの存在を描き、「ディテクティブ・ストーリー」はハード・ボイルドタッチの物語で“鏡の国のアリス”が伏線。ラストの「マトリキュレーテッド」は、さしずめ機械の再構築への試みといったところ。マトリックス誕生に2話を費やし、このシリーズの背景が非常に明快になっている。多彩なエピソードの中で、ネオやトリニティー、エージェント・スミス達にひょっこり出会える嬉しい驚きもある。

第1話にして唯一の3Dアニメは「ファイナル・フライト・オブ・ザ・オシリス」。これは「マト・リロ」の冒頭に続く非常に重要なエピソードだ。技術的にも高水準で約11分のフル3DCGアニメーションだが、最初のカンフー・アクションが、ちょっとエロチックで楽しい。りりしい黒人のサディアスと東洋系美女ジュエの日本刀での格闘を中断するのは、危険を警告するベル。地上や仮想空間で活動しているのは、ネオたちだけではなく、オシリス号もまたゲリラ活動で闘っている。ジュエはマトリックスに命懸けで侵入し、人類最後の都市ザイオンへ警告メッセージを投函。はたしてメッセージは届くのか?オシリス号のクルーたちの命は?「マト・リロ」はこの答えから始まるのである。これを事前にきちんと公開しないというのはどうなのよ?!

「マト・リロ」の鑑賞前に前作を見るのも良いが、このビデオ(DVD)を見る方がよほど予習・復習としては効果的。「リローデッド」「レボリューションズ」の前には必ず見るべし!だ。そうすれば、「リローデッド」の華麗な映像に見とれている観客の前に、あまりに唐突にやってくるラストにもきっと耐えられる。

□2003年 アメリカ映画  原題「ANIMATRIX」
□監督:アンディー・ジョーンズ(「ファイナル・ファンタジー」)、前田真宏、川尻義昭、小池健、渡辺信一郎、森本晃司、ピーター・チョン

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少女の髪どめ

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◆プチレビュー◆
イランでは雨が降るのは春の訪れ。だが季節感が伝わりにくいのが惜しい。イスラムの価値観なのか、道端に座る靴屋の爺さんさえ哲学的。「あなたは誰と暮らしているの?」との問いに「孤独な男の隣にはいつも神がおられる。」などと深いことを言う。

建設現場で働く17歳のイラン人の若者ラティフ。ある日、不法で働く同僚のアフガン人が怪我をしたため、その息子ラーマトが代わりにやってくる。しかし、ひ弱なラーマトは力仕事が出来ず、親方の命令でラティフがやっていた軽作業と交代するが、楽な仕事を奪われたラティフは不満。おまけにラーマトの入れるお茶や配膳の手際がいいので労働者達に好評なのもおもしろくない。何かとラーマトにやつあたりするラティフだが、ある日、彼はラーマトが実は女の子だということを偶然に知る…。

季節は冬、舞台は建設現場、セリフも極端に少ない。どうみても地味な設定なのに、見終ればまるで一篇の詩のような趣の作品なのだ。検閲が厳しいために児童映画が多く作られるイラン映画にしては珍しく、淡いラブ・ストーリー。もちろん、プラトニックだが、仕事に文句ばかり言い喧嘩っ早い乱暴者だったラティフの心に、無償の愛情を芽生えさせるほどの効力を持つのだから、なかなかの“情熱の恋”なのだ。

建設現場ではモグリで働くアフガン難民が大勢いる。現場の親方は彼らに同情的で、役人からかばいながら働かせてやっている。実際にイランには300万人近いアフガン難民が存在すると言う。過酷な労働条件や生活描写も現実に近いのだろう。わがままで乱暴者だった若者ラティフも、アフガン難民が暮らすキャンプをその目で見て、自分よりも不幸な境遇の人々の存在を肌で知る。更に、想いを寄せる少女が、凍てつく冬の川で腰まで水につかり大人に混じって作業する姿に、ただ涙するしかない。

殺風景な映像の中で効果的に用いられるのは、風だ。工事現場を吹き抜ける風にのってかすかに聞こえる歌声に導かれ、微かに揺れるカーテンの隙間から偶然見てしまったのは、鏡に映るラーマトの姿。ひ弱な少年だと思っていたその子は、長い髪をとかす女の子だった。ラーマトには最初から最後までセリフは全くない。声を出せば女の子だと判ってしまうからだが、アフガン難民が自らを語る手段と機会を持たないことをも象徴している。表情やしぐさだけの演出にも、監督の心がこもっている。

ラーマトの正体を知ったラティフが、その瞬間からどんな犠牲を払っても彼女を守ろうと決心するのは、出来すぎた話かもしれない。だが、驚きは瞬時に恋に変わり、家族を養うために男のふりまでする、けなげな“彼女”を守り抜く決意となる。愛を知ることで、人はここまで劇的に変わるものなのだ。自分の1年分の給料も身分証明書も全て投げ出す。結局はその事が、少女との別れにつながってしまうのが哀しい。

原題の「バラン」とはラーマトの本名で、ペルシャ語で“雨”の意味。戦渦のアフガニスタンに帰る一家を見送るラティフ。ラティフの顔を見つめた少女は少し笑ったような気がしたが、その直後、アフガン女性が身につけるブルカを深く被ってしまう。ブルカの網目から見る少女の瞳は、感謝と誇りに満ちていた。残された足跡に雨が降り注ぐラストは、辛い別れの場面なのに温かさが漂い、何とも忘れ難い。

□2001年 イラン映画  原題「BARAN」
□監督:マジッド・マジディ
□出演:ホセイン・アベディニ、モハマド・アミル・ナジ、ザーラ・バーナ、他

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8Mile

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◆プチレビュー◆
過激な言動ゆえに、実母や妻等から多くの訴訟を起こされ、逮捕歴もあるエミネム。そんな人物にもオスカーが渡る時代になった。日本ではPG-12指定だが、アメリカではR指定作品。ヒップホップファンでなくても楽しめると思う。

デトロイトに住む“ラビット”ことジミーは、底辺の生活を送りながらも、音楽をやろうと悩んでいる。思いつくままにリリック(歌詞)を書き綴り、週末に行われるラップ・バトルでの勝利を目指すが…。

自動車産業の繁栄と没落の両方を経験した街ミシガン州デトロイト。“8マイル・ロード”とは、ここに実在するストリートだ。都市と郊外、更に黒人と白人の居住区を分ける境界線でもある8マイルを通過することは、最低の生活を抜け出して夢に一歩近づくことと同義。無傷でこの線を越えることは誰にも出来ない。

アイドル歌手の映画デビュー作と聞くと、お気楽なサクセス・ストーリーを連想するが、本作はまったくその枠を超えている。貧困と倦怠感が蔓延し、それゆえに若者たちのエネルギーが行き場がないままくすぶる様子を、C.ハンソン監督はリアルでダーティに描き出した。切れのある映像が繊細な主人公の内面を映し出す。ボロきれのようになりながら、ラップで自己表現するジミーの姿は、見ていて切ない。

黒人が大半を占めるラップ・ミュージック・シーンで、白人であることへのコンプレックスを抱えるジミー。その日暮らしの母親との葛藤、音楽への希望と不安、信じていた友情が偽りと知り、恋人の裏切りをその目で見る。さらにライバルからの暴力を受け、身も心も傷ついたジミーは、様々に交錯する想いを胸にラップ・バトルのステージに上がる。果たして彼を待つのは、観客の喝采か、罵声か。

地下クラブでのラップ・バトルは最大の見所だ。エミネム自身も若き日に参加していたというこのラップ・トーナメントは、スポーツのように勝敗が決まり、いかにもアメリカ的で興味深い。リズムにのりながら、社会情勢、皮肉やユーモアを瞬時に韻を踏んで言葉にし、相手に挑む。ラップ・バトルとは、実はかなり知的な戦争ではないか。相当に汚い言葉が飛び交うが、実際に俗語や現地情報に通じていれば、よりそのスキルを楽しめただろうに、そこが残念だ。

音楽映画、青春映画。どのジャンルにも収まらない不思議な魅力。重厚な迫真性は社会派ドラマのようでもある。映画のラストで、ジミーは大スターになるわけでも、華やかなフラッシュライトを浴びるわけでもないが、彼がドープ(最高の)・ラッパーであることは誰もが知っている。主人公が迷いを振り切り、心の中の“8マイル”を自力で突き抜ける瞬間を、鮮やかに切り取ってみせた。

□2002年 アメリカ映画  原題「8 Mile」
□監督:カーティス・ハンソン
□出演:エミネム、キム・ベイシンガー、ブリタニー・マーフィ、他

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めぐりあう時間たち

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◆プチレビュー◆
ニコールの熱演は凄いが、あそこまで顔つきを変えるのなら、彼女でなくても良かったのでは…?という気も。「ダロウェイ夫人」や「The Hours」の小説と共に、V.レッドグレイプ主演の映画「ダロウェイ夫人」もぜひ。

1923年に英国で小説「ダロウェイ夫人」を執筆中の作家ヴァージニア・ウルフ。1949年、LAの閑静な住宅街に住む妊娠中の平凡な主婦ローラの愛読書は「ダロウェイ夫人」。2001年NYではダロウェイ夫人と同じ名を持つ編集者クラリッサが賞を受賞した友人のために祝賀会を計画する。時代も場所も異なる3人が抱える共通の悩みは、生きることへの不安。彼女たちの1日はいつも通りに始まったが、やがてその日は忘れられない決断の日となる…。

この複雑な話を見事に映像化したスティーブン・ダルドリー監督の手腕にまずは拍手したい。前作の「リトル・ダンサー」は心温まる話だがあくまで小品。これほど格調高い映画が作れる監督だったとは正直言って驚いている。昨今よく言われていることだが、舞台出身の監督の力量が確かだというのは、どうやら本当のようだ。

“花は私が買いに行くわ”。この共通のセリフで始まる物語は、3人の女性の1日の出来事を詩情豊かに描くもの。彼女たちが共有するのは、生への懐疑と根底にある同性愛傾向。3人の人生がアンサンブルを奏で、緻密に構成されて意外な結末へと収束していくのだ。精神を病んだウルフは入水自殺を選び、得体の知れぬ不安に苛まされる主婦ローラは死の淵まで行くことに。そして死はエイズ患者の元恋人の看病をするクラリッサの目の前を走り抜けた。彼女たちのすぐ隣に死が潜み、手招きしている。

穏やかな毎日に心から満足することができれば、どんなに幸せだろう。本能のままに生きようとすれば社会的役割との亀裂が生じる。平穏な人生の価値を認めながら、それへの嫌悪感で張り裂けそうな女達。豪華女優競演で話題だが、メリルにとっては余裕の演技、ニコールも付け鼻で美貌を消してまでの熱演だが、実は3人の中で最も困難な役は、ジュリアン演じる平凡な主婦ローラなのだ。理由のない不安と焦燥感を、ほとんど説明もなく表情だけで表してみせる。母親を失うまいと側から離れない幼い息子の視線が痛い。彼女が生きたのは、まだ女性に制約が多く、自分らしく生きたいと願えば大きな犠牲と世間の非難を伴った時代。そしてローラが支払った代償はとても大きなものだったが、それでも彼女はうわべの幸福よりもその道を選んだ。

小さな役にも気配りが効いていて、トニ・コレットやジョン・C・ライリー等、実力派が脇を締める。しかし、突出しているのは、エイズで余命いくばくもない作家リチャードを演じたエド・ハリスだろう。彼は劇中の、ある重要な架け橋の役を担っているが、ウルフ同様、作家の死を代償として、作中の人物に永遠の生を与えている。また、終盤、本来顔を合わせるはずのない二人が出会う場面があり大きな感動を生む。この場面には、思わず鳥肌がたってしまった。

華やかな女優達。美しいポスター。典型的な女性映画だ。自殺願望とも取れる話は、小難しいところもあって、実はかなりネクラだが、散りばめられた巧みな伏線と、構成の妙もあって深みのある傑作に仕上がっている。生と死の意味を問い、最後に生きることを決断する勇気を讃える物語と解釈したいが、見終わって、感動と共になんとも言えぬ不安感に襲われてしまうのが気になるところだ。この作品、観客にとって非常に危険な映画かもしれない。

□2002年 アメリカ映画  原題「The Hours」
□監督:スティーブン・ダルドリー
□出演:ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリル・ストリープ、他

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おばあちゃんの家

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◆プチレビュー◆
2002年アジア・フォーカス福岡映画祭にて上映された作品。ラスト、糸を通した沢山の縫い針を残していく場面に思わずもらい泣きした。だが、叱るということも大切だと思う!

母親の就職先が見つかるまでの間、田舎の祖母の家に預けられた都会っ子のサンウ。不便な田舎暮らしと、口もきけず読み書きもできないおばあちゃんのことをバカにする少年はわがまま放題だ。そんな孫をひたすら見守り、愛情を注ぎ続けるおばあちゃん。だが、ある事件をきっかけに、少年は祖母の優しさに気付きはじめる…。

今の教育では基本的に体罰は禁止されているかと思うが、「一回、ハリたおしてやろうか、このガキは!」と本気で思うほど、甘ったれで自分勝手な少年サンウがこの物語の主人公だ。大都会のソウル育ちで豊富なモノに囲まれて育っている。どうやら、母子家庭で親にかまってもらっていないという背景が見え隠れするが、だからといって同情する気にはなれない。正直言って、見ていてウンザリした。

おばあちゃんは口がきけず文盲という設定なので、いっさいセリフはない。聞けば、この役のキム・ウルブンは映画というものを見たことすらなかったとか。村の暮らしぶりや心根は、物語の設定そのもののような人物なのだろう。決して叱らず、自分ができる精一杯のことをサンウにしてあげるおばあちゃん。手のつけられない孫の少年を無償の愛情で包む姿は、ちょっと表現は大げさだが、後光がさして見えた。

サンウ少年は、祖母の作った料理には手もつけず持参した缶詰を食べ、ゲーム機で遊び、祖母の靴を隠したり、髪飾りを盗んだりする。村の子供に嘘をついてからかい、暇つぶしのつもりだ。無理を承知で「ケンタッキー・チキンが食べたい。」と言って祖母を困らせると、チキンだけは判ったおばあちゃんはかぼちゃとひきかえにニワトリを手に入れて丸ごとゆでる。もちろんサンウはゴネるが、鳥を手に入れるため、雨の中を出かけたおばあちゃんが体調を崩したのをきっかけに少しずつ変わり始める。自分のわがままを反省するというより、周囲の優しさに気付いたのだ。映画の中には様々なエピソードが盛り込まれ、それが観客の共鳴を生み、次第に目頭を熱くする。

少年の日のひと夏の思い出という映画の定番のスタイルをとっていて、同年代の友人との友情や、淡い恋心なども織り込み、主人公が田舎暮しになじみ始めた頃に別れが訪れる、これまたセオリー通りの展開。おばあちゃんの愛情は決して見返りを求めないもの。少年はちょっぴりいい子になるが、劇的に変わるわけではない。元の生活に戻れば、やがて山の暮らしは遠い思い出となって薄れてしまうだろうが、祖母の愛情は、心の中のふるさととして温かく記憶されていく。

性善説を基本とする儒教社会の韓国とはいえ、おばあちゃんの愛の形は、現実世界では功罪相半ばだ。山の中の、いわば異空間だからこそ成り立つ世界だろう。非常に東洋的ともいえる愛情表現を丁寧に描写しながら、感動と郷愁を誘う本作。場所は山の中ではなくとも、子供の頃、理由もなく周囲の人を困らせた経験は、誰にでもあるはずだ。いつも寂しげな悲しい顔をしているおばあちゃんがしばしば見せる、胸に手をあてて回すようにする動作がある。感謝、許し、安心…。いつだって自分はここにいるよと言っているかのようなこのしぐさが、映画の全てを語っていた。判っちゃいるけど泣かされる。この典型的なパターンに、またしてもやられてしまった。

□2002年 韓国映画  原題「The Way Home」
□監督:イ・ジョンヒャン
□出演:キム・ウルブン、ユ・スンホ、ミン・ギョンフン、他

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アマデウス ディレクターズ・カット

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◆プチレビュー◆
追加された部分は充分に素晴らしく、それにより作品に遜色が生じることなど決してない。加えてDC版は音の良さもある。それでもなお、未公開シーンがなくともきちんと辻褄があっていたオリジナルの完成度を思うと、やはり84年版が究極に研ぎ澄まされた形だったのだと改めて感じてしまう。

天才音楽家モーツァルトの謎の死を、同時代の宮廷作曲家サリエリの殺害説という大胆な仮説のもとに描く文芸大作。物語は、自殺未遂を図った老サリエリの回想形式で語られる。それは、一人の天才の才能に嫉妬し、狂気へ駆り立てられる男の想像を絶する告白だった。オリジナルは84年にアカデミー賞最優秀作品賞を始め、8部門を受賞し、ゴールデン・グローブ賞やセザール賞など数々の栄光を手にした不朽の名作。監督自らが編集を行ったディレクターズ・カット(DC)版は、20分の追加映像に加え、音声をデジタルでリミックス。より音響的に完成されて再登場している。

この映画のオリジナル版を初めて観た時の感動は、今でも忘れない。詳細な時代考証に基づく演出、無駄の無い脚本、素晴らしい音楽、深みのある俳優陣。どれをとっても一級品で、贅沢で完璧な映像は、傑作と呼ぶのに相応しく、80年代を代表する名作と断言できる。音楽シーンはデジタル処理された以外はオリジナルと全く同じで、追加された箇所は前半のドラマ部分に集中している。サリエリの陰謀により経済的に追い詰められるモーツァルトや、サリエリがモーツァルトの妻コンスタンツェを侮辱するシーンなどにより、観客は、終盤の人間的な葛藤や確執をより明確に理解出来る。

もともと舞台作品として書かれたこの物語は史実ではない。しかし丹念な考察に基づいて生まれたフィクションはアイデアに溢れ、奇跡的に歴史と符合してしまう。宮廷作曲家サリエリは自らは権力の座にいながら、同時代の天才音楽家モーツァルトに強く嫉妬していたのは、音楽史上知られた事実。しかし、なんといってもこの映画によって、大半の人が名前さえ知らなかったアントニオ・サリエリという人物を世の中に知らしめることになったのが、フィクションから生まれた最大の奇跡と言える。

わずか35年の生涯で626の作品を生み出した天才モーツァルト。彼の生涯には謎が多いが、ここでは好色で下品で幼稚、生活能力のない若者として描かれる。それなのにほとばしる音楽の才能はどうだ。しかも時代の転換期特有の新しいバイタリティに満ちているのだ。当時の人々の目には、とらえどころのない天才と映ったことだろう。時の皇帝は彼の才能を愛でるというよりも、教会権力への対抗のための武器として、彼の音楽を政治的に利用した向きが強い。しかし、サリエリだけは違った。彼はただ一人自分だけがモーツァルトの音楽の真の偉大さを理解すると自負していた。だからこそ狂おしいほど嫉妬するのだ。彼の音楽を死ぬほど愛しながらもたまらなく憎い。まことに愛憎紙一重の感情とはこのことか。

サリエリはモーツァルトのオリジナル楽譜を見て、1小節ごとに打ちのめされる。自分の才能のなさを知り、その絶望は神への怒りに変わった。いったい何故彼なのだ?自分は善人だがモーツァルトは?芸術の世界に善など無意味なことを彼は知らない。そして、遂に自分ではなくモーツァルトを選んだ神と決別し、復讐することを誓う。それがモーツァルト殺害計画だ。サリエリの、神との対話という演出スタイルが、例えようもなく見事だ。

こう書くと、天才モーツァルトと凡人サリエリの確執を描く人間ドラマと宗教が核のようだが、実は違う。確かにドラマも素晴らしいが、この映画の本当の主役は音楽そのものだ。もはや一人のキャラクターと言ってもいい。映画の常識では目に映るものが最も大切なのだが、この映画では、音そのものが主役。それはクライマックスでのレクイエム作曲場面ではっきりと示される。ベッドに横たわったモーツァルト、椅子に座ったサリエリ。主人公達は殆ど動かず、セリフは音楽用語ばかりだ。しかし、彼らによる共同作業の場面は、鳥肌がたつほど素晴らしく、音楽を最大限に引き立たせる演出が施されている。楽曲を分解した状態で完璧に頭の中で構築していく瀕死のモーツァルトの非凡な集中力と、それをただ口述筆記するサリエリというコントラストは極めて残酷だが感動的。芸術という名の神の声が五線譜の上で完成されていくこのシーンは、舞台では限りがある演出スタイルを、映画が完全に凌駕した忘れがたい名場面だ。

18世紀の面影が最も色濃く残るプラハで撮影された本作は、当時共産圏だったチェコスロバキアの様々な規制を受けながら製作されたもの。時代を超えたストーリーと心血を注いだ華麗な映像は、亡命者として祖国チェコを離れたフォアマン監督の渾身の作品と言えるだろう。ラストに流れるピアノコンツェルトは、満たされぬ切ない想いが溢れている。最後まで、全ての感覚を研ぎ澄ませて堪能したい傑作だ。

□2002年 アメリカ映画 原題「AMADEUS DIRECTOR'S CUT」
□監督:ミロス・フォアマン
□出演:F・マーリー・エイブラハム、トム・ハルス、エリザベス・ベリッジ、他

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ベッカムに恋して

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◆プチレビュー◆
サッカーの母国イギリスの女の子の夢がまぶしい。インドの結婚式の絢爛豪華さは毎度ながら驚かされる。女子プロサッカーでは米国がトップクラスであることも頭に入れておこう。

英国に住むジェスはベッカムに憧れるサッカーが得意なインド系の女の子。偶然、公園でプレイする彼女を見た白人少女ジュールズに誘われ、地元の女子サッカーチームに入って活躍するが、実はこのことは両親には内緒。なぜならジェスの家庭は伝統と対面を重んじる典型的なインド人ファミリーなのだ。コーチを巡る恋や家族とのあつれきに悩むジェスだったが、やがて両親に嘘がバレてしまう…。

思えば2002年W杯のベッカム熱は凄かった。日本中ににわか“ベッカム様”ファンが溢れ、さながらイングランドのホーム状態。病み上がりのせいもありプレイは精彩を欠いていたのだが、ルックスの良さのせいか、そんなことはおかまいなしだった。だが、この映画の主人公は違う。ちゃんとベッカムのプレーの素晴らしさを知った上で憧れているのだ。家族の反対にもメゲず夢に挑戦するのは女の子版「リトル・ダンサー」のようだが、ネックとなるのが経済的な事よりも文化の相違だからやっかいだ。

典型的なガール・スポ根ムービーで、ストーリー自体に目新しさはないのだが、いつのまにか映画の躍動感に引き込まれる。チームメイトとの友情や、コーチへの恋心なども定番だが、ヒロインがインド系であることで、家族愛や民族間の文化の違いを描き、社会問題にもアプローチする。家族とサッカーへの夢の間で悩むジェスは英国育ちのインド人。しかしインドで生まれ英国に移住した彼女の両親は、英国で自分達が味わった屈辱を思うと、娘に同じ思いをさせたくない。インド文化への誇りだってある。このジレンマがなんとも切ないわけだ。移民社会の複雑な実態は「ぼくの国、パパの国」でも描かれていたテーマだった。

珍しく普通の青年の役をするジョナサン・リース・マイヤーズに驚くが、やはりこの映画を魅力的にしているのは、大きな瞳と生き生きとした表情の、ジェス役のバーミンダ・ナーグラだ。これが本格的な映画デビューとなるが、この役のためにサッカーの猛練習をしたそうで、ドリブルでかわす姿はなかなかのもの。蹴ったボールをロー・アングルで追跡するのは、ウェゴという特殊な機械を使っている。CGにはないリアルな動きで、芝の香りと疾走感が伝わってくるようだ。

冒頭の場面で元W杯得点王のリネカーが出演する等のサービスが楽しい。ドイツに遠征して負けた時には「ドイツと英国の伝統だ。」と言って、1966年のイングランド大会での“疑惑のゴール”後、両国民が判定をめぐって真っ向から対立し、以後イングランドが伝統的にドイツを苦手としている事をサラリと盛り込む。なかなか、ツウ好みのサッカー映画だったりするのだ。デビッド・ベッカムという選手が、フリーキックと正確無比なクロスを特徴とすることもストーリーに上手く活かしている。当時、スキンヘッドだったベッカムを、ジェスの両親が“ハゲ男”と呼ぶのが可笑しい。

それぞれの立場の人間の歩み寄りの大切さと、家族と自分の夢との間で揺れ動くジェスの心を、笑いと涙で描いていく。人種や性別を超えてつかんだ夢はとびきり晴れやかだ。原題の「BEND IT LIKE BECKHAM」とは“ベッカムのようにボールを曲げろ”の意味。ベッカムの蹴るフリーキックが大きく曲がり、ゴールネットへ吸い込まれるように、自分の力で弧を描いて人生の軌道を上昇させていく姿が最高にまぶしい。

□2002年 イギリス映画  原題「BEND IT LIKE BECKHAM」
□監督:グリンダ・チャーダ
□出演:パーミンダ・ナーグラ、キーラ・ナイトレイ、ジョナサン・リース・マイヤーズ、他

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シカゴ

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◆プチレビュー◆
キャサゼタ姐御のド迫力には恐れ入った。さすがはM.ダグラスのヨメさんなだけある。このお話はなんと実話がベースで、過去に2度ほど映画化されている。チョイ役で特別出演するルーシー・リューが大暴れするのが楽しい。

1920年代のシカゴ。スキャンダル好きで飽きっぽいこの街で、またしても殺人が。舞台スターを夢見るロキシーが不倫相手を殺して逮捕されたのだ。獄中の先客で大スターのヴェルマも同じく殺人罪だが、敏腕かつ金権弁護士のビリーを雇って刑務所の中で脚光を浴びている。彼女を見て刺激されたロキシーは、同じくビリーと手を組んで一躍スターダムにのしあがろうとするが、世間の注目を奪われたヴェルマが黙っているはずはない…。

元は75年に故ボブ・フォッシーが手がけた大ヒット舞台劇。映画「キャバレー」でも有名なフォッシーの演出なだけあって、当然テイストはダークで退廃的だ。スキャンダルを利用してショウビジネス界でのしあがろうとする二人の歌姫と、名声を操るやり手の弁護士の思惑が交錯する物語は、家族愛や人間愛というモラルとはいっさい無縁の世界。しかし、この映画にはそんなものはなくとも圧倒的な魅力がある。

大きな目のアップの導入部から、階段を駆け上るスピーディなショット。名曲「オール・ザット・ジャズ」で始まるオープニングは、文句なくかっこいい。粋なステージを最初からたっぷり見せられたら、もう誰もがこの作品のとりこになってしまう。舞台でキャリアを積んだR.マーシャルは本作が初監督ながら、その手腕は非常に高い。エネルギッシュなパワーが大スクリーンに炸裂、ゴージャスなドラマの幕開けだ。

唐突に歌いだし、不自然に明るいミュージカルを苦手とする人は案外多い。しかし、本作の演出の特徴は、登場人物の空想部分をショウ形式で表現していること。本来、留置所という地味な場所ながら、心象風景を歌と踊りで華麗に演出、華やかなステージとサスペンスフルな裁判を同時進行させる。不自然さは皆無で、その切り替えが実に巧みなのだ。更にこの映画の最大の魅力はブラックさ。なにしろ素材は“美人妻の不倫殺人”。獄中にいる人物が茶番劇の裁判で時代の寵児になり代わるというから、相当にクレージーではないか。さぁ、最後に笑うのはいったい誰か。

出演俳優の達者なパフォーマンスも見逃せない。聞けばキャサリンとギアは経験者。初挑戦のレニーは、二人に比べてやはりちょっと拙い。舌たらずな歌い方はハラハラさせられるが、それが、少し頭は弱いがしたたかでコずるいロキシーというキャラにピッタリ合っていて、結果的に成功しているからたいしたものだ。ギアはタップがもっぱら話題だが、腹話術で人形を操るシーンがアイロニカルで出色の出来。グラミー賞歌手Q.ラティファの上手さは言うまでもないが、気弱で哀れな、ロキシーの夫役のジョン.C.ライリーの歌の意外な味わい深さも捨て難い。

ミュージカル映画のオスカー受賞は60年代の「オリバー!」以来の快挙だ。全員が悪いヤツ。したたかに生き抜く彼らの姿は、なんと痛快なことか。悪の魅力に満ちた男女の原動力は、名声への欲望だ。きらびやかで猥雑、甘美な陶酔感がたまらない。久しぶりに“極上”という言葉が思い浮ぶ、大人のためのエンターテイメント映画の誕生だ。

□2002年 アメリカ映画  原題「CHICAGO」
□監督:ロブ・マーシャル
□出演:レニー・ゼルウィガー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、リチャード・ギア、他

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過去のない男

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◆プチレビュー◆
音楽ツウのカウリスマキ。本作でもフィンランドのムード歌謡の“イスケルマ”がたっぷり聴ける。我ら日本人には、クレイジーケンバンドの「ハワイの夜」が大ウケ。何とも笑える選曲だが、歌詞と男の心情がぴったり合っていて、非常に効果的。ところで、フィンランドのビュッフェって、本当にお寿司と日本酒が出るの?

夜汽車でヘルシンキにやって来た中年男が、公園で暴漢に襲われ記憶喪失になる。自分の名前すら判らないままに、周囲の人々の支えで貧しいコンテナ暮らしを始めることに。救世軍の女性イルマに恋心を抱いたり、銀行強盗に遭遇したりしながら、つつましくも充実した日々を過ごすが、ふとしたことから、自分の身元が判明する…。

こんなことを言うと失礼だが、アキ・カウリスマキ監督の存在がなかったら、フィンランドでも映画が作られていることに気付かなかったかもしれない。それくらい、この監督はかの国を代表する人物なのだ。しかし、彼の作品の出来には非常に波があり秀作「浮き雲」で唸らせるかと思えば、無声映画に挑戦した「白い花びら」は心底、失望した。要するに当たり外れが大きいわけで、カンヌで賞を取ったからといって油断はならない。

最近、記憶を題材にした映画が多いが、この作品は相当にユニーク。なぜなら、主人公や周囲の人々は、彼の氏素性にまったくこだわらない。男が記憶喪失だからといって、さしたる心配も同情もしてない様子。貧しく、しがない市井の人々は、ただ目の前にいる男をあるがままに受け入れるのだ。そして「人生は前にしか進まない。後ろ向きに進んだら大変だ。」などと、含蓄のあることをさらっと言ってのける。

すっとぼけたユーモアと優しく叙情的なセンチメンタリズムがカウリスマキの持ち味だが、もう一つの特徴は、いつも舞台が都会の片隅であることだ。北欧の映画は、厳しくも美しい自然が効果的に使われることが多いが、彼の映画の舞台はいつも決まって“いなか町”。田舎でも都会でもなく、田舎町というところがミソで、そこには底辺に生きる人々の営みと、ささやかな幸せに注がれる温かい視線がある。

映画には地味ながら個性的で味わい深い人物が多く登場するが、中でも記憶に残るのが、番犬役のタハティ。劇中ではハンニバル(食人鬼)というぶっそうな名前だが、なんとも憎めない。過去のカウリスマキ作品にも出演した犬たちの血を引く由緒正しき名女優犬で、カンヌ映画祭ではパルム・ドッグ賞を受賞しており、要チェックだ!

また、カウリスマキ作品常連の不幸顔の女優カティ・オウティネン扮するイルマが、初めての恋にとまどいながら、デートの前に化粧をする場面がある。慣れない手つきでマスカラをつけるが、普通は見るであろう鏡がない。この設定で彼女がこういうことに縁遠かったのだと判り切ないが、無表情なイルマの不器用な恋に、思いがけないハッピーエンドが訪れるのが、心にしみた。

ユニークで独特のペーソスと共に描く小さな幸福。未来への希望を信じる姿は、今だからこそ貴重な生き方といえはしないか。「この世は、神の慈悲でではなく、自分で生きなければ」。名前や肩書きなどなくとも、一人の人間として2本の足で大地を踏みしめ生きていく。その証拠に、終盤に自分の素性を知った主人公の目線は、過去ではなく未来へ向けられていた。相当に深いテーマなのに、あっさり描くところがすこぶる良い。今回のカウリスマキ映画は、見事に当たりだ。

□2002年 フィンランド映画  原題「mies vailla menneisyytta」
□監督:アキ・カウリスマキ
□出演:マルック・ペルトラ、カティ・オウティネン、タハティ(女優犬)、他

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キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

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◆プチレビュー◆
30歳に近いディカプリオが28歳のふりをした高校生を演じるというから、ややこしい。でも、ちゃんと16歳に見えるから不思議。実在のアバグネイル本人もフランスでの場面に警官役でカメオ出演している。

1960年代のアメリカ。両親の離婚にショックを受け、家出したフランク・アバグネイルは、まだ高校生だが偽造小切手詐欺を思いつき、パイロットや医者、弁護士に巧みになりすまして大金を手に入れていた。彼を追うFBI捜査官カール・ハンラティはなかなかフランクの手がかりをつかめずにいたが、ふとしたことから、犯人はまだ子供なのではないかと思いつく…。

高校生がパイロットや医者になりすまして、世界中を渡り歩き、小切手詐欺で大金をせしめる。本当か?!と疑いたくなるが、実話だと言われては納得するしかない。60年代初頭というのどかな時代には、人を無条件に信じる空気が満ちていたのだろう。ここには、黒人差別やヒッピー、ベトナム戦争の影も見えない。

若き天才詐欺師と敏腕捜査官の追いかけっこの形をとっているが、実はこの映画、心に傷を負った息子と父の物語が裏テーマだ。フランクが詐欺を繰り返すのは、金の力で、両親の仲が元通りになり家庭の幸せが戻ると信じているから。一方、追う側のカールも離婚した身。フランクを追ううちに、二人は擬似親子的感情を持つようになり奇妙な友情が芽生える。家庭が崩壊し、親から捨てられる子供というのは、スピルバーグの実体験から生まれる毎度十八番の設定なのだ。

レオは19世紀のNYの荒々しさを描いた「ギャング・オブ・ニューヨーク」で、ハンクスは大恐慌時代の殺し屋役「ロード・トゥ・パーディション」で、スピルバーグは暗い近未来SF「マイノリティ・リポート」で、それぞれ深刻な映画をこなした後の本作。肩の力が抜けた、いい意味で軽い作風に仕上がっている。もちろん、M.シーンやN.バイといった脇役の上手さも忘れちゃいけない。特に、息子に詐欺心を植え付けた父親役のC.ウォーケンは、登場するたびに落ちぶれていくが、それでも子供を愛する気持ちと頑張るオヤジの姿を見せる所が泣けてくる。欲を言えば、フランクの詐欺の腕が研ぎ澄まされていく過程の描写が、もっと丁寧であってほしかった。

詐欺の映画の名作といえばすぐに思い浮かぶのは「スティング」。しかし、本作は詐欺の手口や逮捕の捕物帖的要素は二の次だ。その証拠に、本当のクライマックスはフランクが捕らえられた後に用意されていた。逮捕され一度は自由になったフランクの前には2つの選択肢が。自由きままな詐欺師稼業と、堅気の社会人への道。さぁ、どうする。実話だから結果は判っているのに、やっぱりドキドキさせられるのだから、スピルバーグの演出はやっぱりスミにおけない。

ファッションや音楽も明るくノーテンキ。全てのものが、幸せさえもお金で買えると錯覚してしまうような時代には、こんな痛快な犯罪も起こってしまうのか。しかし、憎めない悪党が主人公の映画は実に楽しい。冒頭のタイトルバックのアニメの完成度が、これまた極めて高いのでお見逃しなく。

□2002年 アメリカ映画  原題「Catch me if you can」
□監督:スティーブン・スピルバーグ
□出演:レオナルド・ディカプリオ、トム・ハンクス、クリストファー・ウォーケン、他

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◆青山学院文学部史学科卒業。西洋史が専攻で、卒業論文はベネチア史。学んだことを生きている間に有効に活かせるのだろうか…と、かなり心配。
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古今東西の映画をこよなく愛す、自他ともに認めるシネフィル(映画狂)です。時に苦言を呈すこともあるその映画批評の基本は、映画へのあふれる愛情と自負しています。どんなダメ映画でも必ずひとつはあるイイところを発見するのが得意技。大のサッカー好きで、欧州リーグからJリーグまでTPOに合わせて楽しんでます。
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