映画通信シネマッシモ


映画通信シネマッシモは、2018年4月をもって、終了しました。

ブログ終了にあたり、たくさんのあたたかいコメントをお寄せいただき、本当にありがとうございました。
皆さまの映画ライフに少しでもお役に立てたならこれほど嬉しいことはありません。
長い間のご愛顧に心より感謝いたします。

ミスティック・リバー

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◆プチレビュー◆
悪役が似合うK.ベーコンを刑事役に据えたのがおもしろい。巧みな演出は素晴らしいが、何しろ後味が悪いのが難点。

小さな食料品店を営むジミーの娘が惨殺される。事件をきっかけに、幼なじみの3人の男が25年ぶりに再会することに。ジミーは被害者の父、デイブは容疑者、さらにショーンは刑事として。彼らは、幼い頃、路上で見知らぬ男たちに声をかけられ、デイブ一人が連れ去られて性的暴行を受けるという過去を共有していた…。

クリント・イーストウッドが監督した作品は、これで24本目。そんなにあったのかと正直驚いているが、彼が“出演しない”作品となると、本作を含めて4本しかない。圧倒的に自分が出演してしまう俳優監督で、その最高峰はオスカーにも輝いた「許されざる者」だ。一方、彼が出ない作品としては、本作が間違いなく最上のものになるだろうと確信する。

少年期の性的暴行に直接的な描写はない。ショーン・ペン演じるジミーが犯罪の世界に身を置いていた過去もストレートには描かれない。暴力を直に描写しないことで、かえって残虐性を際立たせる老練な演出だ。ミステリーの形をとってはいるが、イーストウッド監督は、犯人探しよりも3人の男たちの人間ドラマに焦点をあてている。彼らの心の奥に付けられた古い傷跡が新たな悲劇を生みだすのがやりきれない。

マッチョでアクション派スターのイーストウッドだが、彼の出演作で評価が高いものを見ると善悪を併せ持つキャラクターが多いことに気付く。勧善懲悪を好むアメリカ映画の中では異色なのだ。それは、彼がセルジオ・レオーネ監督により俳優として飛躍したことと無関係ではない。このイタリア人の寡作監督は、常に悪の中の善、善の中の悪を描き続けた。イーストウッドのスター性と、暗くよどんだ複雑な物語。アンバランスさもこの映画の大きな魅力だ。

意外な犯人と、新たに生まれた悲劇の衝撃。悲痛な思いがラストにじわりと広がり、消せない染みとなる。そこで観客ははじめて、脇役かと思われていた二人の女性、家族思いのジミーの妻と、脆い精神を持つデイブの妻が重要な役割であることを発見するだろう。男性中心のイーストウッド作品で、新しい試みのようで目を引いた。3人の男性キャストは、いずれも実力派揃い。それぞれの役を取り替えても、興味深いものになりそうだ。この映画の完成度は、深い人間ドラマと共に、キャストのアンサンブルの勝利でもある。

□2003年 アメリカ映画  原題「Mystic River」
□監督:クリント・イーストウッド
□出演:ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケビン・ベーコン、他

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女はみんな生きている

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◆プチレビュー◆
原題の“カオス”とは、ギリシャ語で混沌、秩序が生まれる前を指す言葉。無駄のない脚本といい、笑いのセンスといい、近年見たフランス映画では5本の指に入る秀作。お母さん役のリーヌ・ルノーは実は超有名なシャンソン歌手だ。

エレーヌは平凡な主婦。経済的にも恵まれ、一応仕事もしているが、身勝手な夫とわがままな息子の世話をやきながら漠然とした毎日を送っている。ある日、路上で怪しげな男達に追われる血まみれの娼婦から助けを求められるが、やっかいごとが嫌いな夫は車のドアをロックしてしまう。エレーヌはなぜか彼女のことが気になって、翌日からパリ市内の病院をあたってその女性を探しはじめるが…。

最近はハリウッド調のアクション映画なども作っているが、フランス映画といえば、伝統的に会話中心で人間心理を探る作風のものが多い。思わず眠気を催す人がいるのも判る気がするが、この映画は違った。何しろテンポが抜群にいい。女二人が起こしたレボリューションは、売春組織への復讐と大金を巡る極上のエンタテインメントへと発展する。

エレーヌの懸命の看病のおかげで、ノエミという名の娼婦は意識を回復。徐々に自分の生い立ちを語り始める。信じられないほど困難な人生を生き抜いてきたノエミの話を聞き終わる頃には、エレーヌの心の中でダメ亭主とドラ息子を捨て去る決心がついていた。だいたい二人して母親に居留守を使うなど、許すまじ!である。とりあえず一時帰宅、礼儀正しくブチキレてからは、スリルに満ちた冒険の日々の始まりだ。誰かに必要とされていると自覚することで、生き生きと輝き出す瞬間が眩しい。

出会うはずのない人間との出会いは、何かが変わるきっかけだ。だが、自分自身を変える大きな転機になるそのことに気付くためには、自らの心の声に忠実でなければならない。エレーヌは娼婦ノエミを見捨てるなという声を聞き、その声に従う勇気を持っていた。立場は違うが、彼女たちはそれぞれ、女を食い物にする男たちに虐げられてる。二人揃ったのが運命ならば、宣戦布告は当然の結果なのだ。

前半の女たちの出会いから後半はいっきにサスペンスタッチへ。ノエミを演じるラシダ・ブラクニは文句なく美しいが、やはり本作を魅力的にしているのは、エレーヌ役のカトリーヌ・フロ。男たちに革命を起こすのが丸顔でほのぼのとしたオバサンというところがウケる。ノエミが語る娼婦流男のオトし方も仏映画らしくてよろしい。物語は全編コミカルながら社会性もあり、アラブ社会の男尊女卑や移民問題、娼婦の実態、麻薬中毒など、シリアスな問題もきっちり盛り込んである。

登場する男たちが揃いも揃ってダメ人間ばかりなので、カップルで観るには不向きだが、女性にとってこれほど痛快な映画はまれじゃなかろうか。かといって一方的な女性賛美のフェミニズム映画ではないところが本作の優れたところだ。ラストに並ぶ4人の姿が印象的で、ここには血のつながった家族とは別の次元の結びつきが感じとれる。21世紀の人間関係の方向性を教えてくれる実に貴重な作品なのだ。

□2001年 フランス映画  原題「Chaos」
□監督:コリーヌ・セロー
□出演:カトリーヌ・フロ、ラシダ・ブラクニ、ヴァンサン・ランドン、他

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ラストサムライ

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◆プチレビュー◆
T.クルーズは黒髪なので、日本人キャストの中でも浮かなかったのは大きい。ここまで日本を美化されると気恥ずかしい気もするが、日本人俳優の頑張りは誇らしかった。斬られ役の名人・福本清三にも注目。

明治維新間もない日本。軍を近代化するために米国からやってきたネイサン・オールグレンは、政府軍への反逆者とされる武将勝元に捕らえられる。捕虜となったネイサンは、彼らと暮らすうち、礼儀をつくし名誉を重んじる勝元らの静謐な生き方に感銘を受けるようになる。しかし勝元はまさに時代から葬りさられようとしていた…。

思えば今までどれほど多くのニッポン勘違いムービーを見てきただろうか。ゲイシャガール、ヤクザ、チャンバラ、そして顔には常に笑み。きっと今回も…と半分あきらめモードで臨んだが、いい意味で裏切られた。もちろん細かい部分で疑問はあるものの、開国間もない日本という難しい時代を外国人が描くものとしては、十分に合格圏内をキープしていると思う。ハリウッドと天下のトム・クルーズが本気を出しているからには、チャチなものは作らない!ということだ。

この映画が高潔な物語として仕上がっている訳は、根底に作り手の日本文化への好意があるからだ。侍スピリッツという、もはや日本人ですら正確には表現できない精神をアメリカ映画が描くのだから、良い方向に誤解しながら物語を構築するのは仕方がない。大スターT.クルーズのナルシシズムも、興行的には必要だろう。更に、幸か不幸か「七人の侍」という傑作が存在する以上、美化される責任はニッポンにもある。

捕らわれの身になったネイサンが、なぜか流暢な英語を話す勝元と対話をくりかえすうちに、彼とその周囲の人物の武士道精神に感化される。なんのことはない、誘拐や監禁で互いに長く接触するうちに、被害者が犯人に好意や連帯感を持ってしまう典型的なストックホルム症候群だ。だが、ネイサンは勝元の人柄を通り越して、一気に日本の侍魂にまで飛躍してしまう。短期間ですごい学習能力なのだが、勝元が住む村にはアメリカ人が望む美しい日本の理想の姿が確かに凝縮されていた。

問題は、ネイサンのトラウマがインディアン討伐にあるという設定だ。南北戦争の英雄は罪もないインディアンを虐殺した罪悪感から、逃げるように日本にやってくる。そこには同じく滅びていくサムライがいたという図式になるが、この設定が観客に余計な混乱を与えてしまうのは否めない。インディアンと武士道は全く別モノ。同じ滅びゆくものでも、過程や理由は大きく異なる。この映画を滅びの美学と位置づけてしまうのに躊躇するのはこの点なのだ。

長い歴史の中で生まれた武士道は日本人の精神風土にも通じる。何事においてもアメリカは世界一の国というのは万人が認めるところだが、ただひとつアメリカにないものが“歴史”だ。コンプレックスに裏打ちされて生まれたサムライ賛美の物語だが、あら探しではなく、自戒のために鑑賞してこそ日本人には意義があると確信する。日本映画では実現不可能なアクション大作を、ハリウッドが良心的な偏愛を持って作ってくれたのだから。

□2003年 アメリカ映画  原題「THE LAST SAMURAI」
□監督:エドワード・ズウィック
□出演:トム・クルーズ、渡辺謙、ティモシー・スポール、他

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ファインディング・ニモ

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◆プチレビュー◆
ピンクのクラゲの森には思わず見惚れた。お気に入りキャラは自由を愛するサーファーのカメ親子。名曲“ビヨンド・ザ・シー”が流れるエンドロールにも隠れキャラが大勢登場する。

グレートバリアリーフに住むカクレクマノミのマーリンは学校に行くことになった息子のニモが心配でたまらない。ある時、過保護な父親に反発したニモは危険な外海に出て、人間のダイバーに捕獲されてしまう。なんとしてもニモを救わねば。手がかりを知るナンヨウハギのドリーと一緒に、人間の世界を目指す冒険の旅が始まった。

まずは美しすぎる色彩に酔おう。フルCGで作られた海の世界は夢のようで、実写よりもリアルな色と光に満ちている。澄んだ青い海、赤い珊瑚、ゆらめく海草に、しばし見惚れた。次に魚たちの流れるような動きや表情の豊かさ、更には動いた先で一瞬止まる時の構図の見事さにも感嘆する。CGで表すものの中で最も難しいものが水の表現。技術的には世界最高水準ではなかろうか。

文句のつけようがない視覚効果に、センス溢れるストーリーが加わっているのだからおもしろくないはずがない。いなくなった家族を探す物語は昔から定番だが、魚の父子がそれぞれの場所で互いに成長する姿は、単純なだけに素直な感動を生む。脇に登場するキャラもユニークで魅力的な魚たちばかり。マーリンとともに旅をするのは記憶が数分と続かない極度の健忘症のドリー。このメメントな設定がとぼけた笑いを生む。その他、マーリンが旅する海にも、ニモが閉じ込められた水槽にも、個性的な仲間たちが大勢いて、さながら海のネットワークで親子の距離を縮めていく。

ハリウッドが得意の父と子の物語という構図はここでも健在だが、今回は父子家庭。愛する妻と400匹の子供を一度に失う設定には、9.11テロの影響が見て取れる。子供を想う親の気持ち、わがままな自分に気付く息子、仲間の大切さなどをけれんみなく語り、ユーモアの中に子供の成長や父権の回復を織り込む物語には、スピード感と感動が同居している。“禁魚”に励むサメは禁酒・禁煙などの大人向けのギャグだし、水槽と海の伝達係を担うペリカンや、エサのことしか頭にないカモメなど、脇のキャラもしっかり立っていた。小魚の集合文字で情報を伝えるアイデアも最高に楽しい。

この映画の一番の凄さは、全てオリジナルのストーリーとキャラであること。独創性はいつだって人々をとりこにする。また登場人物が完全無欠ではないところも愛される要因だ。ニモのヒレは片方が極端に小さいが、それをコンプレックスにせずに、幸運の印だと捉えるポジティブな姿勢は見逃せない。個性を尊重するアメリカ気質にも繋がっているのだろう。

欧米のアニメのキャラクターの顔は日本人の好みとはかなり違う。正直言うと可愛くないものの方が多いのだが、英語の発音に基づいた顔の表情の豊かさと、現実社会としっかり重なるストーリーテリングの巧みさで、いつのまにか大好きにさせられてしまうのだ。本作も例外ではない。近頃、妙にあきらめが早くなった大人たちへの上質な応援ムービーである。愛すべきキャラたち、素晴らしいストーリー、ゴージャスな映像。見て損はない。

□2003年 アメリカ映画  原題「Finding Nemo」
□監督:アンドリュー・スタントン
□声の出演:アルバート・ブルックス、ウィレム・デフォー、ジェフリー・ラッシュ、他

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バッドボーイズ2バッド

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◆プチレビュー◆
宣伝担当の綺麗なお姉さんが「2時間26分もあるんですよ…」と言った時の、悲しげな瞳が忘れられない。刑事ものは白人と黒人の組合せが多いので、黒人2人組という設定はちょっと新鮮。

マイアミ市警のマーカスとマイクは型破りな捜査で有名な刑事コンビ。麻薬シンジケート壊滅の特捜チームに任命された彼らだったが、捜査は難航する。マーカスは仕事に悩みを抱え、マイクはマーカスの妹シドと密かに交際中。さらにシドが潜入捜査任務を帯びた麻薬捜査官だったことが判明し、事態は複雑になっていく…。

前作は確かに見た。…はずなのだが、見事なまでに記憶がない。それほど当時の彼らはどうでもいい存在だった。W.スミス、M.ローレンス、監督のM.ベイに製作のJ.ブラッカイマーの4人があまりにビッグになってしまったので、スケジュール調整が大変だったというのが続編完成まで8年もかかった理由だが、前作を見ていなくても、いや、覚えていなくても全く問題ない作りになっているので大いに助かった。

とにかくド派手な映画だ。そもそもブラッカイマーの映画は場所やキャラが変わってもテイストは全て同じのファースト・フード映画。質より量で勝負なのだ。ストーリー性はほとんど無視して、市街でのカーチェイスや銃撃戦など、息つく暇もないほどのアクションが繰り広げられる。これのいったいどこが“極秘”捜査だと言うのか。ちなみに一介のヒラ刑事が、フェラーリに乗るのも、分不相応な豪邸に住んでいるのも出演者がビッグになったことに比例しているのだろうか。何ともバブルな設定だ。

100億円という日本の一般ピープルにはにわかに想像し難い額を投入して作った映像は、ひたすら“ブチ壊す”もの。何百台という車を潰し、ビルを壊し、豪邸を吹き飛ばす。かつて軍艦や小惑星まで吹っ飛ばしたブラッカイマーにとっては些細なことに過ぎないのだろうが、とどのつまりにキューバに乗り込むにいたっては開いた口がふさがらない。突如鳴り出す叙情的な音楽と「俺達は仲間だ」のセリフと共に登場する助っ人。あぁ、どうしてこうなるの。キューバ軍兵士を皆殺しにするってのは、政治的にも問題なんじゃないのか。ブラッカイマーの映画に真面目にツッコミを入れること自体がマナー違反という気もするけれど…。

さんざん文句を言っておいてナンだが、困ったことに見る価値はある。何しろ、これほど派手さに徹したアクション映画は滅多におめにかかれないし、主演2人のマシンガン・トークも最高に楽しい。ヘタな大義名分や歴史的考察なんぞとは無縁なので何も考える必要はない。必然性のないアクション場面はひたすら観客へのサービス精神に基づくものなので、いちいち格好をつけるW.スミスもどこか得意げである。

ものすごくいいかげんなものを見てしまった時のトリップ感覚が快感だ。観客を楽しませ、自らも利益をあげ、爽快感の他には後には何も残さない。実に合理的である。娯楽の追求という意味では徹底した映画なので、潔ささえ漂っていた。副題の「2バッド」はトゥー・バッドのモジりで“ヤバ過ぎる”の意味。豪快な暴れっぷりは、そのまま今のハリウッドのエネルギーと考えていいだろう。

□2003年 アメリカ映画  原題「BAD BOYS 2BAD」
□監督:マイケル・ベイ
□出演:ウィル・スミス、マーティン・ローレンス、ガブリエル・ユニオン、他

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フォーン・ブース

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◆プチレビュー◆
怖いのは、都会型の偏執狂(アーバン・パラノイア)なのだ。米映画の中では呼び出しが出来る公衆電話の機能を上手く使う場面が多い。最後にチラリと登場する電話の声の主の存在感も抜群。山椒は小粒でもピリリと辛い。

スチュはNYで活躍する自称一流パブリシスト。今日も忙しぶりながら携帯電話を駆使して、情報をやりとりする。女優の卵をくどこうと結婚指輪をはずし、電話するために入った公衆電話でふいにベルが鳴る。反射的に受話器を取ると、見知らぬ男の声が告げた。「銃でお前を狙っている。電話を切ったらお前の命はない」…。

面白い。電話ボックスというごく限られた空間に主人公を閉じ込め、見えない犯人によって彼を追い詰めていく設定の見事さ。主人公スチュの背景や性格を、最初の数分でテンポ良く見せる演出の手際の良さ。観客はスチュがどれほどいけすかないヤツなのかを冒頭で知らされるため、彼の虚飾に満ちた生き方を攻撃する犯人の言動を、スムーズに受け入れることが出来る。例え犯人の意図は不明だとしても。

場所を特定したドラマの場合、しばしば舞台劇のような趣をかもすが、この物語はあくまで映画的空間の中で進行する。クルクルと変わるカメラの視点と、エスカレートする犯人の要求。状況を見守るしかない観客は、恐怖と不安に怯える主人公と、彼を狙う犯人の目線の両方を疑似体験する仕掛けだ。限定空間ながら人間模様も非常に濃く、見応えたっぷりである。

通行人が行きかう大都会にあるガラスばりの電話ボックスは、開放的でありながら人間を閉じ込める相反した性質のスポット。携帯電話が主流の今では、特殊な空間にさえ見える。主人公は、突然過酷なゲームに放り込まれ、スナイパーという“神”から公衆の面前で一枚一枚虚勢をはがされていく。愛人の存在を妻に告げ、邪険にしていたアシスタントに謝罪。電話ボックスは、ここでは大衆に公開された懺悔室と化すわけだ。薄っぺらな人物のスチュは自己の内面と初めて向き合い変化する。

スチュを演じるのは今最もノッている俳優のコリン・ファレル。傲慢で平気で嘘をつく嫌味なギョーカイ人ぶりが上手いが、理由も判らず命を狙われた人物のとまどいを熱演。一人芝居といってもいいほど出ずっぱりなのに、演技の緊迫感が持続するので全く飽きさせない。生意気でゴシップの方が先行する俳優だが、女癖の悪さもこれほど演技が上手ければ許してしまいそうになる。

大都会NYでは勝ち組こそ正義。大勢の人間が、自分の利益にならない者を切り捨て他人の情報を売り買いしながら肥え太っていく。そんな風潮を、映画という法律で裁いているのだろうか。主人公が体験する81分を同時進行で観客も味わえる。低予算ながら名人芸の技が冴える一流のエンターテインメント作品だと感心した。

□2003年 アメリカ映画  原題「PHONE BOOTH」
□監督:ジョエル・シューマカー
□出演:コリン・ファレル、フォレスト・ウィティカー、ケイティ・ホームズ、他

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ぼくの妻はシャルロット・ゲンズブール

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◆プチレビュー◆
大作、続編、リメイクで胃がもたれたら、こんな洒落た小品がお勧め。パートナーが有名女優というと「ノッティング・ヒルの恋人」を思い出す。他の有名人で「ぼくの妻は〜〜」シリーズを作ると楽しいだろうな。

スポーツ記者イヴァンの妻シャルロットは人気女優。当然、社会的知名度は妻の方が上である。プライバシーのない生活と妻の共演相手への嫉妬などで少々疲れ気味だ。そんなある日、パリを離れて英国での長期間の撮影の話が決まる。さらに共演者がプレイボーイのジョンと聞き、イヴァンは心配と嫉妬にかられてしまう…。

歌手のセルジュ・ゲンズブールと女優のジェーン・バーキンを両親に持つシャルロット・ゲンズブールと、夫で俳優のイヴァン・アタルがなんともユーモラスでおしゃれな映画を作った。実生活とは微妙に設定を変えて自虐的要素を加え、セルフ・パロディよろしく楽しんでいるのが好感が持てる。

有名女優を妻に持つ平凡な男が遭遇する苦悩と葛藤。二人で街を歩けば妻はサイン責めに遭い、レストランの予約も自分ではNGなのに妻だとOK。共演相手とのラブ・シーンにやきもきし、さらには長期のロケで別居同然の寂しさだ。夫役のイヴァンは実は妻同様俳優なので、エピソードはフィクションだろうが、さもありなんの場面の連続に見ている側も苦笑する。シャルロットとの記念写真を撮るファンにシャッターを押す役を仰せつかる場面は気の毒で笑ってしまった。

イヴァン・アタルの監督デビュー作となるが、なかなかのセンスの持ち主と見た。ぶっきらぼうな印象のシャルロットの活き活きとした表情が新鮮で、映画の大きな魅力になっている。彼女の何気ないファッションもいい。極めつけは共演相手で嫉妬の対象のジョン役にテレンス・スタンプをもってくる感覚だ。このオヤジは、年をとったとはいえ、相当アブナい雰囲気だもの。かなり鋭いキャスティングである。

夫の喜怒哀楽とともにシャルロットの女優業の苦労も語られる。ベッドシーンの撮影のために、撮影スタッフ全員がヌードになる場面が笑えた。「ヌードはいや!スタッフ全員が脱ぐなら考えるけど」と言ったら、本当にそうしたというエピソードは彼女のものではないが、別の映画での実話だそう。フランスの映画撮影現場って、ほんとにこんなにクレイジーなのか?!

シャルロット・ゲンズブールは自分自身を演じる役や現実に近い役柄に印象的なものが多く、子役時代の「なまいきシャルロット」や、ミシェル・ブランの「他人のそら似」でも上手い演技をみせている。少年っぽさが魅力の女優と思っていたが、いつの間にかまろやかな大人の女性へと変身していた。本作では気心の知れたイヴァンの監督ということもあるのか、驚くほどよく笑う。

ドキュメンタリーブームの中にあって、この映画もジャンルではノン・フィクションに入るだろうか。仏映画らしいエスプリが効いていて、セレブの実生活、ことに夫婦生活を垣間見るおもしろさを味わえるが、軽妙なテンポで作り手側のセンスを大いに感じる1本。ジャズを中心にした音楽も心地よい。さらりとした一筆書きのように、さわやかさが漂う好編に仕上がった。

□2001年 フランス映画  仏語原題「Ma Femme est une Actrice」
□監督:イヴァン・アタル
□出演:シャルロット・ゲンズブール、イヴァン・アタル、テレンス・スタンプ、他

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マトリックス レボリューションズ

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◆プチレビュー◆
結構楽しんだクセに、なんだかんだと文句を言うのは心苦しい。でもこれもひとえにマトリックスに対する期待が大きいからなのだ。やっぱり驚きとエンタメ度は第1作が一番だ。

機械vs人間の壮絶な戦闘もいよいよ最終段階へ。人類の救世主として覚醒したネオは、激しい戦いの果ての昏睡状態の後、目を覚ます。自分自身とマトリックスの謎を追求するネオ。一方、人工知能から人類最後の都市ザイオンの場所を特定されてしまい、互いの存亡をかけた戦いが始まる…。

思い切りよく広げた大風呂敷をいったいどうやって畳むのか。もはや興味はこの一点につきると言っても過言ではない。ネオの運命は。トリニティーとの愛は。人工知能と人類の闘いの勝者はいったいどちらなのか。その全てに明確な答えを出し、スッキリさせてもらえるかと思ったら、そうは問屋がおろさない。シリーズ最終章ともなれば、なんとかして辻褄を合わせねばならないからツラいのは判るが、禅問答のような会話の連続で、決定的にアクション不足なのである。主要キャラであるネオ、トリニティー、モーフィアスの3人は、殆ど職務怠慢で、寝そべっていたり、怪しげな駅に閉じ込められていたり、せいぜい宇宙船ホバークラフトを操縦するくらい。身体をはったアクションの割合は前2作に比べて飛躍的に落ちてしまった。

アクションの山場のひとつは、流線型の動きも見事なイカ型ロボット、センティネルズと人類最後の地下都市ザイオンの軍の激闘。すさまじい物量作戦で、迫力のバトルを繰り広げる。ネオが救世主であることが確定しない以上、勝敗の行方は謎で、思わず手に汗を握るのだが、落ち着いて考えてみれば、このテの戦闘シーンは普通のSF映画のバトルと同じ展開なのだ。カンフー重視のマトリックス的興奮とは別モノなので、何も固唾を飲んで見守るほどのことではない。

魅力的にデフォルメされた数多くの新キャラが多く登場したリローデットと違い、本作では新顔は僅かだ。元々リローデットとレボリューションズはひとつの作品で、無理に2つに分けたという事情を考慮すると、これはいたしかたないことだろう。レボリューションズの数少ない新キャラのひとつであるデウス・エクス・マキナは、いわば機械の大ボス。この究極のマシンとの取引により、セッティングされるのが、ネオと宿敵エージェント・スミスとの対決だ。このあたりの脚本は巧みである。

暴走プログラムであるスミスの正体が判るのは本作の大きな収穫で、豪雨の中での二人の対決はビジュアル的にも文句がない出来栄えだと思う。ブレッド・タイム、いわゆるマシンガン撮影を駆使した全方位型のアクションは、大胆で繊細な水の描写とともに、観客の期待に十分に答えていた。マトリックスは何でもありの仮想空間なのだから、どんな非常識な動きも美しければノー・プロブレムである。結局このシリーズの最大の魅力は、凝りに凝った映像で魅せる超絶技のアクションなのだ。それが見たくて観客はこの映画を見るのであって、細かくて回りくどい理屈はウザいだけだ。

人間をエネルギー源とする人工知能が、それを悟られないために築いた仮想空間がマトリックス。リアルとバーチャルの2つの世界が同時に存在し、その位置関係やシチュエイションが画期的なのだが、レボリューションズでは2つの世界をつなぐ中間地帯の存在である駅が登場する。モバイル・アベニュー(携帯通り)と名付けられているのが、現実と妙にリンクしているようで興味深い。綿密に計算してプログラムしたつもりでも、不意に湧き出る人間の不確定要素は、犠牲や共存というバージョンアップを繰り返しながら存在しているのである。

一種の大団円ともいえるラストに向かって加速する物語の隙間に、しばしば出てくる言葉が“愛”と“選択”。人はある局面に立ったとき何らかの選択を迫られるが、その判断を正しいと確信するためには愛が不可欠なのだ。そうでもなければこのシリーズに落とし前は付かない。多分にキリスト教的なネオの運命は十分に予測可能なものだろう。“愛は世界を救う”などというスベりそうなオチじゃないだけ救われるが、最後に打ち上げられた花火は案外地味で平凡だったというワケだ。あぁ、祭りのあとの寂しさよ。

□2003年 アメリカ映画  原題「The Matrix Revolutions」
□監督:ウォシャウスキー兄弟
□出演:キアヌ・リーブス、キャリー・アン・モス、ローレンス・フィッシュバーン、他

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キル・ビル Vol.1

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◆プチレビュー◆
「キル・ビル Vol.1」ではラストの「恨み節」で大爆笑!日本刀を機内持ち込みにするいいかげんさも笑えた。オーレン・イシイの生い立ちを語る日本製アニメが出色。故深作欣二監督に捧げられているが、巨匠も草葉の陰で笑いながら楽しんだに違いない。

かつて最強の殺し屋だったザ・ブライドは、自分の結婚式で、夫やおなかの子供、友人まで皆殺しにされ、自らも頭を撃ち抜かれる。一命を取りとめ、4年間の長い昏睡状態から奇跡的に目を覚ました彼女は、かつてのボスであるビルとその手下たちに復讐するため、世界を股にかけた闘いの旅に出る…。

自分の大好きなものを映像化するのは、監督にとって案外難しい作業だと思う。正統派のアプローチで冗長の力作になり観客を疲れさせるか、思い入れが強すぎて自身の力量とバランスがとれず空回りすることが多い。だが、そこは才人タランティーノ。ヘタな色気は出さずに、徹頭徹尾のアクションで押しまくった。既成概念をブチ壊す本作は、ハンパじゃないB級映画への偏愛で、極上の娯楽作となっている。

タイトルが示す通り“ビルを殺(や)る”のが大筋の、いたって単純な話だ。但し、Vol.1とVo.2に分けて公開されるので、まだまだ明かされない部分は多い。タランティーノが得意とする時間軸をバラバラにする語り口で、時と場所を自由に移動する登場人物たちは、誰もがヘンテコで大仰なキャラばかり。ヤクザの女親分、寿司屋と刀鍛冶を兼ねる剣術指南、高校生の殺し屋などなど、まるでマンガだ。まったくリアリティがない分、ヒロインの強い思いが際立ち、様式美に溢れた映像はどこまでもクール。スタイリッシュなトホホ感覚というものが存在するなら、まさにこれだ。

今回の主な舞台はLAと沖縄と東京。予想通り、ニッポン勘違い度炸裂で、我々には2倍は楽しめる。日本のヤクザ映画や時代劇、香港のカンフー、マカロニ・ウェスタン、スパイ映画などのエッセンスを全てごちゃまぜにして映像化。元ネタがあまりにマニアックなので、ほとんど理解不能だが、それを知らなくても、十分にエモーショナルな興奮が味わえる。タランティーノが“日本映画で知るニッポン”がうかがい知れて、非常に興味深い。

映像的には、血の見せ方には並々ならぬこだわりを感じる。青葉屋でのユマの百人斬りは、首が飛び手足が吹き飛ぶ壮絶な血まみれシークエンスだが、残酷というより笑いが漂っていた。“ほがらか”に噴きあがる血の噴水と強引なギャグセンス。匿名性の強い相手を次々に倒す様は、ゲーム感覚だ。その果てのクライマックスは、おかしな日本語を棒読みするユマとルーシーの対決で、舞台は雪の日本庭園。さっきまで晴れていた気象事情はさておき、長身で重心が高くなりがちなユマも、着物姿で長ドスを持つ寄り目のルーシーも、結構サマになっている。けれん味たっぷりのフラメンコの音楽が、巨匠セルジオ・レオーネを彷彿とさせ、興奮必須だ。

デタラメでいいかげんな活劇ワールドを、一流の技術で作ってしまう。一方的な趣味の世界だが、単なるパロディや模倣ではなく、独自性をもって昇華、転生しているので、他に類を見ない躍動感とゴージャスさが生まれた。バイオレンス描写が苦手な人にはお勧めできないが、新感覚のハリウッド流チャンバラで、女性賛美映画と取れなくもない。バカバカしいものに真摯に取り組むタランティーノは、やっぱりスゴい。映画ファンは、結局こういう映画を愛していることを、彼はちゃんと知っている。

□2003年 アメリカ映画  原題「KILL BILL Vol.1」
□監督:クエンティン・タランティーノ
□出演:ユマ・サーマン、ルーシー・リュー、栗山千明、他


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キル・ビル@ぴあ映画生活

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インファナル・アフェア

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◆プチレビュー◆
すばらしい脚本に、上手い俳優陣。それなのにこの覚えにくいタイトルはマズすぎる。もっと判りやすい邦題を付ければ宣伝効果も上がったものを…。

香港。大麻取引に関わる2人の対照的な男がいる。ラウが警察学校に入ったのは、マフィアのボスの命令で内部情報を流すため。一方、同じ警察学校に通っていたヤンが強制退学させられたのは、その能力を買われ、密かにマフィアに潜入し実情を探るためだった。それぞれ身分を隠して過ごした月日は10年。ある事件で互いの内通者の存在が発覚し、その裏切り者を探すことになる…。

この作品、すでにハリウッドでリメイクが決定している。昨今アジアン・ホラーの焼き直しが大流行しているが、この映画はホラーでもなければ、香港映画特有の派手なワイヤーアクションや銃撃戦でもない。もちろんおバカな笑いやクンフーとも無縁。正統派だが、いたって地味で渋いハード・ボイルドだ。こういうジャンルの映画がハリウッドに認められたのは、アジア人の一人として喜ばしいと思う。しかも、あのブラピが出演を熱望しているというから話題性も十分だ。

映画の一番の魅力はトニー・レオンとアンディ・ラウという、香港を代表する2大スターの共演だ。トニーは甘いマスク、アンディは男っぽい雰囲気と対照的なのだが、二人とも渾身の演技で熱演している。立場は違うが、共に本当の自分を隠して生きねばならない葛藤。この二人の距離が少しずつ縮まっていく展開がスリリングだ。日の光を浴びない人間のやましさが、セリフではなく表情ににじむところが実に憎い。

陰と陽と簡単に割り切るには、登場人物の設定は複雑。マフィアのボスの右腕となりながら裏社会でもがくヤンは、恋人とも別れ身も心もボロボロに疲れて極限状態に。一方、警察で出世街道をひた走り豪奢な生活を楽しむラウは、いつしかマフィアであることよりも長年住む嘘の世界の安定を手離せなくなる。複雑な内面描写は、今までの派手な香港アクションにないもので、見応え十分。華を添える女優陣も含め、脇役の描き方も丁寧で、物語に厚みを与えている。

男性ファンならどちらかに自分自身を投影し、女性ファンはどちらかに強く惹かれるだろう。しかし、突き詰めると、対照的に見える二人は、お互いを映しどこかで判りあっている鏡のような存在だ。実像と虚像といったらいいだろうか。全編を暗い映像が占めるが、時折挿入される青空が心に残る。

冒頭の回想シーンで、マフィアのボスが仏の前で言う「自分の道は自分で決めろ」というセリフがこの物語の軸になっている。原題の「無間道」とは、仏教用語で無間地獄のこと。絶え間ない責め苦を受ける場所の意味だ。無限ではなく無間というところが考えさせられる。勝ち組、負け組という単純な分かれ方ではない。他人と自分自身を一生あざむいて生きることの苦しみは、どこにも属さない地獄の苦しみなのだ。

□2002年 中国(香港)映画  原題「無間道/Infernal affairs」
□監督:アンドリュー・ラウ、アラン・マック
□出演:トニー・レオン、アンディ・ラウ、ケリー・チャン、他

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