映画通信シネマッシモ


映画通信シネマッシモは、2018年4月をもって、終了しました。

ブログ終了にあたり、たくさんのあたたかいコメントをお寄せいただき、本当にありがとうございました。
皆さまの映画ライフに少しでもお役に立てたならこれほど嬉しいことはありません。
長い間のご愛顧に心より感謝いたします。

ぼくの好きな先生

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◆プチレビュー◆
子供の卒業や先生の退職などで“泣かせる”演出は何もなく、淡々としているところがいい。ロペス先生には教師は天職。この天職に巡りあったということが何より羨ましい。実はドキュメンタリーが大好きなので、昨今のブームは非常に嬉しい。作り手の苦労の割には報われる部分が少ないのが残念だ。

フランスのオーベルニュ地方にある小学校。そこでは3歳から11歳までの13人が一つのクラスで一緒に学んでいる。先生は55歳のロペス先生。個性溢れる生徒たちと、ベテランの教師。彼らの生活はゆったりとした時間の中で流れていく…。

空前のドキュメンタリーブームと言っても過言じゃない昨今。音楽もの、社会問題を扱う問題作、有名俳優や監督の一生を綴るものなど、様々なスタイルの作品が生まれている。N.フィリベールは長らく自然や人物を主体とした記録映画を撮り続け、その手腕が国際的に高く評価されている監督だ。

年齢が異なる子供がひとつのクラスで学ぶ複合学級は、特殊な教育形式だ。小さい子供と大きい子供は互いに協力し合い、ロペス先生はゆっくりと、根気強く彼らを指導する。教壇の上から講義はせず、生徒の横に体を低く曲げて寄り添い、静かに話しかける。厳しいが誠実なその態度から、生徒たちは自分たち一人一人が気にかけてもらっている親しい空気を感じ取ることができるだろう。

子供たちはカメラを意識することは殆どない。優れた記録映画の基本である、作り手と対象の信頼関係が築かれている証拠だ。年齢や、体力・知力にバラツキがある子供たちの共同体は、すなわち、異なる価値観を持つもののコミュニティ。先生は、掛け算や書き取りを教えながら、ケンカは話し合いで収め、約束を守ることの大切さを時間をかけて学ばせるのだ。時には皆でクレープを焼き、ソリ遊びをする楽しいひと時も。一方で、父親がガンを患う生徒には、「人生には病気はつきもの。病気と一緒に生きていくんだよ」と諭す。気休めではなく、現実的な言葉の中に、例え相手が子供でも真摯に接する本物の優しさがあった。

ロペス先生のスタイルは、いささか古風で、都会では通用しないだろう。教育現場が実際に抱える問題を思えば、絵空事にさえ感じる。だが、このフィルムに映る生徒たちの生き生きとした表情と溢れる温かみは何なのか。中学校へ進学する子供の不安に細やかに対応し、生徒の家庭の問題に心を砕く姿に感動を覚えるのはなぜなのか。それはこの小さな教室に、寛容さと信頼関係という理想を見るからなのだ。その理想が私たちの現実とはあまりに遠いことを知っているからなのだ。何気なくあたりまえの日常を切り取っただけのこの映画に感動的するのは、この風景がもはやあたりまえではなくなっている現状があるからに他ならない。

美しい四季と子供たちの自然な姿は詩情に溢れている。他者を他者として認めることの重要さが彼らの暮しの中には確かにあった。こんな環境なら、子供も親も教師も素直になれる。羨ましさばかりが募る罪な映画でもある。明日から夏休みという終業式を終え、映画も幕を閉じる。学校を去り難いと感じる子供たち。安堵と寂しさが入り混じる教師の表情。学び、成長することの喜びと難しさを、今一度考えたい。

□2002年 フランス映画  仏語原題「Etre et avoir」
□監督:ニコラ・フィリベール
□出演:ロペス先生と3歳から11歳までの13人のクラスメイトたち

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マッチスティック・メン

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◆プチレビュー◆
R.スコット本人は実生活で大変な潔癖症。この映画はPG-12指定。いったいどこがマズいのか調べてみると、後半アンジェラが銃を撃つシーンが「子供が銃を撃つのはよろしくない」との判断だとか。

潔癖症の詐欺師ロイは相棒のフランクの勧めで精神科医に通っている。医者が言うには、彼の潔癖症の原因は、14年前、別れた当時妊娠していた妻が産んだであろう子供の存在にあるとのこと。探し当てた娘のアンジェラは父親の職業に興味を示し、なりゆきで大きなヤマに挑むことに。突然の娘の登場で生活を乱され困惑するロイだが、迷惑さを越えて生じる娘への愛を感じ始めていた…。

監督リドリー・スコット、主演ニコラス・ケイジ、製作総指揮ロバート・ゼメキス。どうだ、この豪華さは。しかも今まで硬派な作品を作り続けたR.スコットがコメディに挑戦するという。「テルマ&ルイーズ」にはやや片鱗が見られたが、本格的なコメディは初めてのはず。しかし、そこはスコット監督、通り一遍では終わらない。物語はいわゆるコン(詐欺)・ムービーだが、そこにもうひとひねり味付けされている。

小さく手堅い詐欺を巧妙に繰り返し、孤独ながら優雅で快適な生活を送るロイ。自らをコン・アーティストと呼び、こだわりを持って仕事に励む。根拠も一貫性もないロイの数々の性癖がいちいち可笑しい。突然の娘の登場でパニック状態ながら、フツフツと芽生える父性愛。病的な潔癖症がいつしか収まっているのも娘のおかげのようである。N.ケイジは妙に子煩悩な役が似合う俳優だが、14歳の娘アンジェラを演じるA.ローマンが実に素晴らしい。実年齢は24歳。劇中で21歳と年を偽るセリフがあるが、そのどれも本当に思えるほど。オスカー俳優のケイジを相手に生き生きとした演技で観客を魅了する。10代の女の子という生き物は、可愛くて危なくて、したたかなようでもろいのだ。このコなら詐欺師の心も父性に揺らぐだろう。

ロイ、フランク、そして“見込みのある”アンジェラが加わった詐欺計画が思わぬ所からほころびはじめてからは、コメディ路線から一転、シリアスな展開に。ドンデン返しは「スティング」ばりだ。あっと驚く仕掛けは、実はシニカルで悲劇的なトリックなのだが、悲劇の先に人生の至福の時を主人公に用意し、観客を唸らせる。かくしてこの作品は、コメディ、親子愛映画、コン・ムービーというジャンルを濾過して、極上のエッセンスを抽出するというわけだ。

潔癖症という病気でロイの人となりを小きざみに描きつつ、フランクの陽気さと無神経さを組み合わせることで、物語の重要な暗示とする。巧みすぎる脚本につい感心。大仕事へとゆっくりと動く歯車は、意外な軌道を描きながら転がっていく。ラストのロイの至福の表情は、その歯車の到着点が家族の温かみを育む場所だと語っている。乾いたユーモアの裏には悲劇と喜劇が仲良く同居しているのだ。

「ハンニバル」で映像美を過剰に意識した失敗が効いたのか、今回は出来るだけ凝った映像を抑えているスコット監督。話のうまみを際立たせるための引き算か。やっぱり映画の極意は脚本にあるのだと再認識させてくれた。物語の性質上、内容を書けないのがツラい、映画評泣かせの作品ではあるけれど。

□2003年 アメリカ映画  原題「MATCHSTICK MEN」
□監督:リドリー・スコット
□出演:ニコラス・ケイジ、サム・ロックウェル、アリソン・ローマン、他

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ローマの休日・製作50周年記念デジタル・ニューマスター版

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◆プチレビュー◆
モノクロならでは上品さを改めて実感。この時代の映画にはエンド・ロールがないので、ジ・エンドの文字が出たらいきなり終る。デート・ムービーとして、これをしのぐものがまたとあろうか!

某国王女アンは親善旅行でローマを訪れる。過密日程のスケジュールに嫌気がさし、深夜に宮殿を抜け出して街へ出るが、ついベンチで居眠りをしてしまう。偶然通りかかったアメリカ人の新聞記者ジョーは、彼女が病気で公務を休んでいるとされるアン王女だと知り驚愕。スクープを狙おうと、身分を隠す王女に1日だけの自由を謳歌するように勧めるが…。

オリジナルは1953年。今回のそれは“製作50周年記念デジタル・ニューマスター版”というのが正式名称だ。現代の画像処理技術の進歩には、ただただ驚く。映画界では派手なCGばかりが話題になりがちだ。しかし、気の遠くなるような地味な作業を繰り返して劣化部分を修復し、明るさやコントラストを調整して、古いフィルムを蘇らせてくれる職人技に敬意を表したい。往年の名画を大画面で見る喜びはひとしおだ。

何度も見ているのにやっぱり感動する。名作と呼ばれる映画に共通する特徴だ。物語には少しも古びたところが感じられない。オードリーの新鮮な美しさは50年たっても変わらず、気品あるドレス姿に見とれ、髪を切る場面やアイスクリームを食べるシーンにワクワクし、ヴェスパでのカーチェイスに胸を躍らせる。大根役者と呼ばれるG.ペックの、上品な受けの演技も計算されたものに違いない。あぁ、今は二人とも故人になってしまった…。

物語は1日だけの恋物語。年代によって感じ方は様々だろう。10代ならば「こんな恋がしてみたい!」と無邪気な憧れを抱くだろうし、大人の観客は人生のほろ苦さを感じるはずだ。思い通りにならない自分の立場、逃げ出して全てを忘れて楽しい時間を過ごしても、やっぱり元いた場所へ戻り、自らの道を進まねばならない。アンとジョーはお互いの気持ちを知りながら、恋心はひと言も口に出さずに相手を思いやる。別れの場面の切なさは何度見ても目頭が熱くなるから困ったものだ。

“オードリーの”ローマの休日と記憶される映画には違いないが、改めて見ると巨匠W.ワイラーの才能に敬服する。役者に余計なセリフを与えず、表情の豊かさで気持ちの変化を描写、クローズ・アップやパン・フォーカス技法など隅々まで気配りが効いている。ローマロケの観光案内的楽しさとヘプバーンという新星を配する商業的バランスの良さも見逃せない。バラエティに富む作風のせいか、器用な監督と思われがちだが、素顔は大変な凝り性で、あだ名は「ナインティ・テイク・ワイラー」。納得がいくまで90回も取り直したことがあるそうだ。「ローマの休日」も全ての場面が自然に流れていく解りやすさの裏には、俳優・スタッフの膨大な苦労が隠されている。

たった1日だが輝く恋の時間を持ったアンは、王女という身分を職業として捉えることが出来た。ラストの謁見で見せるオードリーの晴れやかな笑顔と、最後まで残ったペックが大理石の床に響かせる足音は、大人になる通過儀礼なのだ。想いを込めて見つめあう二人。人生はままならぬものと知った年齢の観客にこそ理解できる切ない名ラストシーンである。恋愛映画の名作とされている本作だが、実は含蓄深い人生指南書だったりするのだ。

□2003年 アメリカ映画  原題「Roman Holiday」
□監督:ウィリアム・ワイラー
□出演:オードリー・ヘプバーン、グレゴリー・ペック、エディ・アルバート、他

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シモーヌ

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◆プチレビュー◆
完璧な美貌のハリウッド女優に、全盛期のI.バーグマンやG.ケリー、E.テイラーを連想する私には、シモーヌ役のレイチェルはちょっと不満だ。アカデミー賞はともかく、シモーヌのコンサートはいくらなんでもやりすぎでは。

落ち目の映画監督タランスキーは主演女優の降板で窮地に立たされる。偶然手に入れたプログラムソフトで、完全無欠の美貌と抜群の演技力を誇る女優シモーヌを創作してその場を切り抜け成功を手にするが、この世に存在しない彼女を巡り、マスコミが加熱。引っ込みがつかなくなったタランスキーは秘密を守ろうと奔走するが…。

アル・パチーノがCGを操る?!「エニイ・ギブン・サンデー」ではCDではなくカセットを愛用し、「NY最期の日々」では携帯電話すら持つのを嫌ったアナログの彼が何ゆえに。どう見てもデジタルが似合わないパチーノを、皮肉たっぷりの業界コメディにキャスティングするところがこの映画のミソだ。

映画制作現場でのCGの導入はもはや当たり前。ヨーダやゴラムという実力者もいることだし、CGキャラの演技にもオスカーを授与したらどうかと常々真剣に思っているくらいだ。いっそのことシモーヌもCG女優であることを世間に公言したら簡単なのに、パチーノ扮する落ち目の監督がそうしないのは理由がある。それはひとえに、自らを尊敬し従ってくれる生身の人物がいることを業界に知らしめるためなのだ。美貌と演技力よりも重要なのは、監督にどこまでも従順な女優であること。自分を敬愛しそのことを世間に公言する人物はCGでは困るというワケだ。

パチーノがコメディと聞くと違和感を感じるがこれが意外と似合っている。口紅をつけてキスマークの偽造に励む姿はかなりウケた。大真面目なだけに笑ってしまう。「ディック・トレイシー」の特殊メイクの演技は例外として、コメディは初挑戦と思うが、これからは遠慮なくバンバンやってほしい。自分で作ったシモーヌに振り回されてヘトヘトになる姿がお気の毒。「マトリックス」や「2001年宇宙の旅」とは違うアプローチで、機械に凌駕される人間の哀れさをコミカルに描いている。

俳優など不要な時代がやってくるかも。そんな気さえ起こさせるこの映画では、誰もが認める演技派のパチーノに「俳優なんか生身でなく作り物で充分だ!」とまで言わせる。また、盗みでお縄になったウィノナが、超わがままのセルフパロディで大ハリキリ。さすがは転んでもタダでは起きないハリウッド女優だ。そんなバカな…の設定も確かにあるが、CG女優シモーヌをホンモノと偽った完全犯罪の行く末もひねりが効いていて楽しめた。

作り物の街や遺伝子操作の人間など、リアルとヴァーチャルの狭間にこだわるA.ニコル監督。本物と偽者との境界線を探る嗜好とみた。スター偏重システムや過剰なCGという映画業界の姿を、ユーモアたっぷりに風刺しながら、虚像に振りまわされる人間そのものの滑稽さも笑い飛ばす。メディアへの警鐘と深刻に捉え、構えて観る必要はないが、まんざら有り得ない話じゃないところがちょっとコワい。

□2002年 アメリカ映画  原題「SIMONE」
□監督:アンドリュー・ニコル
□出演:アル・パチーノ、レイチェル・ロバーツ、他

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永遠のマリア・カラス

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◆プチレビュー◆
オペラの映画で、オープニングにロックをぶつけてくるセンスはなかなか意表を突く。ちなみに、カラス唯一の映画出演は、イタリアのパゾリーニ監督の古典劇「王女メディア」。残念ながら歌わない。

伝説的歌姫のマリア・カラスはパリで隠遁生活を送っていたが、旧知の音楽プロモーターから、新企画を持ち込まれる。その映画の内容は、現在のカラスの演技に全盛期の彼女自身の声をかぶせるという、屈辱的なものだった…。

20世紀最高のソプラノ歌手がマリア・カラスであることに異論をはさむ人は少ないだろう。美貌と実力、また海運王オナシスとのスキャンダルなどが彼女を死後も有名にしているが、晩年のパリでの隠遁生活と53歳の若さで世を去った事情はあまり知られていない。この映画は、カラス本人を良く知るゼフィレッリ監督が“もしこんなことがあったなら”という仮説のもとに編み出した物語だ。

加齢による声の衰え、破綻した恋愛、日本公演のステージでの失敗などが、カラスを世捨て人にさせていたが、屈辱的な新企画を一度は断りながら、いざ仕事に取り組むと、カラスの芸術家魂に火がつく。劇中劇の「カルメン」は素晴らしい出来栄えで、全編を通して見たいと思うほどだ。ファニー・アルダンはカラスがのり移ったかのような熱演で素晴らしい。身にまとうシャネルの華麗な衣装が話題になりがちだが、むしろ、声をパントマイムで演じる際の、顔の緊張や肉体の動きに注目してほしい。アルダンのプロとしての真摯なアプローチがにじみ出ている。

自身の声とはいえ全盛期の歌声の採用は、現在の生の声との決別を意味し、オペラ歌手への残酷な行為だ。ゼフィレッリがカラスをどう追い詰めるか、どう救うかが映画の見所となる。青春ものや古典が得意なゼフィレッリ監督だが、本国イタリアではオペラの演出家として知られている。劇中には、崇高な歌姫の姿だけではなく、ステージへのこだわりで激昂する様子や陽だまりでくつろぐ表情など、意外な描写もあり、親しい友人としての包み込むような視線を感じることが出来る。

最高の演技と最高の声を結び付けたいという願いは、舞台演出家の本音だろう。CG等駆使すれば技術的には可能なはずだ。ただ、選ばれた天才に対して許される錬金術なのかという思いもよぎる。オペラファンにとっては、再びマリア・カラスに会える嬉しい映画であると同時に、彼女の実力を知れば知るほど、辛い思いを抱く物語なのではないか。また、ゼフィレッリの師匠であるL.ヴィスコンティは、カラスの当たり役の「椿姫」を演出し、彼女を世に出した人物。ヴィスコンティならこの映画をどうさばいただろうかと考えずにはいられない。いずれにしても、F.アルダンの渾身の演技と共に、オペラとは縁が深いイタリア映画界らしい興味深い作品に仕上がった。

□2002年 イタリア・フランス・イギリス・ルーマニア・スペイン合作映画 
□原題「CALLAS Forever」
□監督:フランコ・ゼフィレッリ
□出演:ファニー・アルダン、ジェレミー・アイアンズ、ジョーン・プローライト、他

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座頭市

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◆プチレビュー◆
勝新にどれだけ思い入れがあるかで評価が分かれる作品だ。海外での好評は、座頭市そのものを知らないことが吉と出たか。芸者遊びやお祭りなどの日本文化を盛り込んだサービスにも抜かりがない。ギャグは個人的にはあまりノレなかった。

ヤクザの銀蔵一家が仕切る宿場町に、3組の旅人が入る。盲目で居合い斬りの達人の座頭市。凄腕の浪人で病気の妻の薬代を稼ぐため用心棒稼業をする服部源之助、親の仇を探す旅芸者の姉妹おきぬとおせい。三者の思惑が絡み合い、やがて壮絶な闘いが繰り広げられる…。

子母沢寛の随筆集「ふところ手帖」に、ほんの数行登場する座頭市。博打好きで女好きのヤクザものだ。座頭市と言えば故勝新太郎の一世一代のあたり役で、他の俳優によってきちんとした形で演じられるのはおそらくこれが初めてだろう。イメージが固定している傑作時代劇のキャラクターに挑戦するだけでも勇気がいることだ。しかし“世界のキタノ”が打ち出したのは単なるリメイクではない。盲目で居合い斬りの達人ということ以外全てが新しく、斬新なのだ。

金髪、ギャグ、タップダンス…。こういう話題が先行すると、もしやパロディかと思ってしまうが、実は驚くほど正統派時代劇の趣が漂っている。宿場町での旅人の出会いや、剣の達人同士の一騎打ち、仇打ちの助太刀などは、時代劇の典型的スタイル。石灯篭を砕き、とっくりを斜めに切り、障子の向うの見えない敵を倒すのもお約束通りだ。おぉ、時代劇してるじゃないか!とヘンに感心させられる。今だから言うが、座頭市リメイクの噂を初めて耳にした時は、ダンスとコント満載の珍作“狸御殿”シリーズの勝新を連想して、密かに身構えていたのだ。

では、いったいどこが新しいのか。何しろたけしの市は、殺陣(たて)が凄い。そして速い。まさに瞬殺で、カメラが動きを追えなかったというのも、あながち宣伝用の誇張ではなさそうだ。このスピードは「椿三十朗」の三船敏郎といい勝負じゃなかろうか。第一、切り合う前にクドクドと講釈をタレたりしないところがいい。正義の啖呵など切らずにいきなり狂ったように斬る。寡黙でストイックな浪人を演じるアサチュウが魅力的で、市の宿命のライバルとして、善悪とは全く異なる命のせめぎあいの興奮を観客に与えている。大義など関係ない。闘わずにはいられないのだ。

もちろんキタノ流のバイオレンスも満載で、容赦なく腕を切り落とし、指をそぐ。血しぶきが飛ぶ過激な場面も多いが、激闘の後、記憶に残るのは血の赤より仕込み杖の朱の色だった。クワの音、つまびく三味線、雨の水滴と、リズム・パフォーマンスによって物語を導き、遂にはタップの群舞を登場させて高揚感は頂点に。伝統と革新のバランスと、エンタメ映画へのチャレンジ精神に、北野武の才を見る。

最後の最後に用意された驚愕は、座頭市という超有名アウトローを固定観念の呪縛から解き放つかのようだ。極めつけの見せ場は静寂の中にある。市の最後のセリフが強烈で、シビれてしまった。リメイク流行りの昨今だが、これくらいの気概と根性を見せてくれれば、何も文句はない。

□2003年 日本映画  原題「座頭市 ZATOICHI」
□監督:北野武
□出演:ビートたけし、浅野忠信、大楠道代、他

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ファム・ファタール

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◆プチレビュー◆
冒頭、ヒロインがTVで見ている映画は、ビリー・ワイルダーの傑作「深夜の告白」。この作品が映画の方向を示しているが、デ・パルマの迷走ぶりがくっきり浮かぶ作品。

カンヌ映画祭の会場から高価な宝石が盗まれた。泥棒の一味の一人であるロールは、仲間を裏切って宝石を奪い、姿をくらませてアメリカへの高飛びに成功する。7年後に名前を偽って大使夫人としてパリに舞い戻るが、パパラッチのニコラスに顔写真を撮られてしまう。正体がばれることを恐れたロールは、悪女の本性を現した…。

デ・パルマがヒッチコックに傾倒しているのは、自他ともに認めるところ。ヒッチ風という形容が、やや軽蔑気味だったのが、賞賛のニュアンスに変わったのは、いつ頃からだろうか。いつのまにやらデ・パルマ風というスタイルを確立していた。画面分割や独特のカメラワーク、複雑に張り巡らせた伏線など、デ・パルマ健在なりと言わんばかりだ。国際的なキャスト・スタッフには、音楽で坂本龍一も参加している。

セレブで賑わうカンヌ映画祭。本物をドーンともってくる気前の良さだ。S.ボネール主演の仏映画「イースト・ウェスト」も登場する豪華さ。その会場で385カラット、1000万ドルのダイヤのビスチェが盗まれる。この盗みのシーンの設定はやや甘いものの、いきなりのエロティック・モードで、物語は裏切りと逃亡、そして新たな人生へと急展開。悪女は女優でなくてはならないと痛感するのはここからだ。

ファム・ファタールとは男を惑わす“運命の女”の意味。映画ではディートリッヒの「嘆きの天使」やキャスリン・ターナーの「白いドレスの女」のような悪女で、原型はメリメの小説「カルメン」だと言われている。しかし21世紀型のそれは、単に男を奈落の底へ突き落とすだけでなく、自分の運命を切り開く強さとしたたかさを持って生き抜く女。主演のレベッカはトップ・モデル出身で、監督のイメージ通りだったとか。瓜二つの人物、貞淑で上品な顔と悪女(ビッチ)の顔の二面性は、ヒッチコックの「めまい」へのオマージュが見て取れる。

ショパールをはじめとするゴージャスな宝石と、シャネルやエルメスなどの一流メゾンのコラボレーションも、美しいレベッカがあってこそ。これが「X-men」で全身うろこのボディメイクのミスティークと同一人物とは…。いつもは濃くて大仰なA.バンデラスもここではチョイ役に等しい。露出度過多で、必然性が限りなく無いクネクネダンスのストリップにあきれているうちに、あっさりと罠にハマる仕掛けなのだ。

悪女の知恵と悪運がつきたと思った瞬間に訪れる大ドンデン返しは秘密だが、ひとつだけヒントを挙げるとすれば、画面のところどころに映る時計。時間が鍵だとだけ言っておこう。このオチは、普通なら許すまじ!だが、デ・パルマならばOKだ。画面の細部にまでこだわり、ヒッチコックへの尊敬も忘れず、スタイリッシュな映像もふんだんに用意する、技巧派監督だからこそ味わえるサスペンスなのである。

□2002年 アメリカ映画  原題「Femme Fatale」
□監督:ブライアン・デ・パルマ
□出演:レベッカ・ローミン=ステイモス、アントニオ・バンデラス、ピーター・コヨーテ、他

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HERO

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◆プチレビュー◆
久しぶりに故国に凱旋したJ.リー。初めて彼を“美しい”と感じた。ただ、中国全国武術大会総合優勝の実力を誇る彼が、ほとんどワイヤー・アクションで演じているのは、ちょっと残念。地に足をつけて闘っても強いというのに。

7つの国が覇権を争う紀元前の戦乱の中国。後に始皇帝となる秦王のもとに謎の刺客“無名”が謁見に現われる。各国が放つ刺客の中でも最強の3人を倒したというその男は、秦王に問われるままに、どのように彼らと対峙したかを語り始めた…。

一つの真実に対して証言が食い違い、謎が深まっていく物語展開を黒澤明監督の傑作「羅生門」に敬して羅生門スタイルと呼ぶが、本作もまさにこの形を踏襲している。無名の報告、秦王の推理、無名による真相告白と推移し、幾重にも謎が広がって、最後になされる選択へと導くミステリー仕立てだ。始皇帝の暗殺では、実在の荊軻が有名だが、本作はさしずめ“始皇帝暗殺・外伝”と言えよう。

槍の名手の長空と棋館で闘う場面は黒、恋人同士の刺客、残剣と飛雪を嫉妬を利用して倒した物語では赤。更に、青、緑、白とそれぞれの場面をテーマカラーで統一し、極彩色で壮麗に展開。オペラの演出も手がけるイーモウ監督の色彩へのこだわりは、「紅夢」「菊豆」などの、初期の情念溢れる作品群にも表れていた。ここではそれを更に飛躍させ、あきれるほど手が込んだ舞台セットとロケを用いて画面の隅々まで芸術の香りを漂わせている。大金を投じたであろう物量作戦で、弓矢の雨は空を黒く染め、黄金色の銀杏は瞬時にして真紅に染まる。シビれる映像美だ。

C.ドイル、ワダエミ、T.ドゥン、鼓童など、出演俳優陣だけでなく、アジア各国からエキスパートを集めた上に、アクションは「マトリックス」のCGスタッフによるVFX。中国映画の世界進出の決意表明のようなメンバーだ。彼らを束ねるには、中国政府に批判的な作品で国際的知名度のイーモウ監督しかいない。近年はハートウォーミングな作風だっただけに、初のアクション映画ではワイヤーアークのやり放題。そんなバカな…の連続のハジケッぷりに、もしや長年たまっていたものでもあったかといらぬ心配までした。しかし、さすがは撮影監督出身。東洋的美意識に基づき、リアリティよりビジュアルに比重をおいた作りで、舞踏のようなアクションは、すこぶる情緒がある。

無名の語る武勇伝の矛盾を秦王がつく度に物語は二転三転し、少しずつ真実へと歩み寄る。残忍なイメージの始皇帝を、諸国を統一し民の平和を願う人物としてアプローチしているのが新鮮だ。この設定には中国本国では非難が多いと聞くが、物語は歴史フィクション。紀元前のことで、いちいち言い掛かりをつけているようでは、映画は楽しめない。ただ、秦王が立ち回りを演じる場面には疑問が残った。語られる武勇伝の中、刺客のアクションの“動”に対し、秦王の“静”が素晴らしい対比をなしているのに、王自らが暴れてはせっかくの効果が弱まってしまう。

武侠映画でありながらギリシャ古典劇を思わせる演出で、色彩のパズルの中に登場人物の感情を埋め込んでいる。現代にも通じる真理を最後に配し、全体に薄いドラマ性とのバランスをとって平和へのメッセージをも込める趣向は、イーモウ監督らしい。この作品でチャン・イーモウという監督を再認識した人も多いだろう。彼自身の映画のテリトリーも広がり、次回作が大いに楽しみである。

□2002年 中国映画  原題「HERO/英雄」
□監督:チャン・イーモウ
□出演:ジェット・リー、トニー・レオン、マギー・チャン、他

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フリーダ

フリーダ DTS特別版 [DVD]フリーダ DTS特別版 [DVD]
◆プチレビュー◆
企画段階で、ジェニファー・ロペスと争ったことが話題になったが、やっぱりメキシコ人女優のハエックで大正解だ。 84年製作のポール・リデュク監督のメキシコ映画「フリーダ・カーロ」と見比べて見るのもおもしろい。

1907年にメキシコに生まれたフリーダは、18歳の時に遭った事故で瀕死の重傷を負うが、奇跡的に一命を取り止める。ベッドに拘束されている間に出会った絵画に生きる情熱を注ぎ込むようになるフリーダ。やがて歩けるようになった彼女は、高名な壁画家ディエゴ・リベラと愛し合うが、それは喜びと苦痛を伴う日々の連続だった…。

続き眉と薄い口髭で知られるメキシコ人女流画家の生涯は激しすぎる。彼女の描く絵画は、グロテスクでシュールだが、何とも魅力的で、そのパワーの源となったのが自身の壮絶な生き様だ。不実の夫、流産、事故の後遺症。それら全てを創作活動の糧とする。メキシコ人女優サルマ・ハエックが8年間構想を練り、情熱を注ぎ込んで完成させたもので、波乱に満ちた47年の人生は、短いが強い輝きを放っている。

大恋愛の末に結ばれた夫ディエゴの際限ない浮気に悩まされるが、フリーダ自身も奔放な恋愛を重ねる。革命家トロツキーや劇中には登場しないが、彫刻家のイサム・ノグチなどのセレブと浮名を流し、時には男装するフリーダは、同性との恋愛にも積極的。自由なセクシュアリティーの持ち主だったのだ。生涯に渡り30回以上の手術を受け、肉体的に満身創痍の彼女は、せめて精神的に自由であろうとしたのだろうか。

祖国メキシコの民族的要素にも誇りを持ち、NYやパリという20世紀前半の最先端のファッションの地へ赴いても、カラフルなメキシコ独特の装いとアクセサリーを身にまとった。劇中に出てくるインテリアも、彼女の描く絵のように色彩豊かだ。

舞台「ライオン・キング」の演出家として知られるジュリー・テイモアが監督していることが、この映画に更なる個性をもたらした。大胆な解釈や奇抜なアイデアが、フリーダの絵画のシュールな作風とマッチし、奔放な映像となって観客を魅了する。病院でのパペット・アニメ、NYへの旅のコラージュ、CGを使った絵から実写への変化など、けれん味たっぷりでさすがの演出だ。特に、バスの大事故のシーンは、腰に鉄棒が突き刺さり、鎖骨や骨盤が砕け右足を潰す凄惨な場面だが、この残酷な情景に金粉を散らせ、悪夢のような出来事を極めて装飾的な場面として表現。斬新な舞台演出を得意とするテイモア色を色濃く打ち出している。

絵画という表現手段を得たとはいえ、自らの尋常ならぬ不運を跳ね除ける生への情熱はラテンならではのもの。肉体と心の痛みを自画像へと昇華させた彼女の生涯は、逆境との闘いでドラマチックだが、映画は悲壮感よりもメキシコの風土や開放感、独自性を伝えてくれる。政治的にも一筋縄ではいかない芸術家カップルとはいえ、冷静に考えると、デブの男と毛深い女の浮気合戦。それなのに、観終わると美男美女のピュアな恋愛物語に思え、感動がこみ上げるから不思議だ。劇中に登場するテオティワカン遺跡のように、フリーダの人生と芸術は、孤高で気高いもののように思える。

□2002年 アメリカ映画  原題「Frida」
□監督:ジュリー・テイモア
□出演:サルマ・ハエック、アルフレッド・モリーナ、エドワード・ノートン、他

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茄子 アンダルシアの夏

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◆プチレビュー◆
縦一列の自転車の群れの疾駆が何とも爽快。灼熱の道でふと現われる日影の正体は大きな牛の看板。「なんだ、お前か…」とペペが懐かしそうにつぶやく場面が、特に気に入った。ラストの“自転車ショー歌”も最高。

世界3大自転車レースのひとつ、スペインのブエルタ・ア・エスパーニャ。ペペ・ベネンヘリは最近勝利に恵まれず、レースの真っ只中に自分が解雇されることを知る。この日のレースは、自分の生まれ育ったアンダルシアの村を通過するコース。そこでは、かつての恋人カルメンとペペの兄アンヘルの結婚式が行われようとしていた…。

原作は黒田硫黄のコミック「茄子」の中の一編。茄子が登場することを共通項に、骨太なタッチと陰影が独特の漫画で、大変な人気を誇る。映像化が難しい絵柄と、自転車レースというこれまたアニメ映画として困難な題材を上手くまとめて、密度の濃い作品となった。上映時間も47分と、“短くも美しく燃え”るスタイルだ。

自転車のロードレースは、9人編成のチームで勝利を目指すが、勝者は一人だけで、残りの8人はその一人のために、給水、風よけ、他チームの牽制と、徹底して協力する。ひどく階級社会的なようだが、本場欧州ではエース以外の選手の実力も正統に認知し、拍手を送るとか。但し、プロなら誰もが一度は主役を目指すだろう。監督自身がトップレベルの自転車レーサーである本作では、レースの様子が実にリアルに描かれているのが特徴。主人公ペペは捨て駒のアシストの一人だ。

レースの最中に無線で聞いてしまった自らの解雇にショックを受けるペペだが、思わぬアクシデントでレースは予期せぬ方向へ。灼熱の太陽の下でペダルをこぎ続ける彼の脳裏に様々な思い出と複雑な感情がこみ上げる。単調になりがちなレースを、心象風景と過去の出来事を織り交ぜて描写し、メリハリをつける演出が上手い。「遠くへ行きたい。」このひと言にペペの気持ちが凝縮されている。兄アンヘルと奪いあった二つの“もの”。それは1台の自転車と恋人のカルメンだった。

故郷を捨てた男の夢と焦燥。プロとしての厳しさ。忘れ去りたいはずの故郷で輝くことは、いつまでもどこかでわだかまる自分の心の殻を破る手段だ。勝利よりも自分自身の存在を確かめるために走る。その先に見える遠い世界を信じながら。解雇を知りながら、捨て駒としての自分の役割をまっとうしようとするペペの男気には胸が熱くなる。自転車ってこんなにカッコいいものだったのか。ママチャリや通学のイメージは、ひとまず忘れてしまおう。

映画のアニメはすっきりと仕上がっているが、ゴールする瞬間の場面には、原画の持ち味を活かした荒々しい線になる。クライマックスの興奮は必須。レースの後、兄たちへの強がりの言葉が爽やかで、アンダルシア名物の茄子漬けを食べる姿は、忘れたいはずの故郷としっかり対峙しているように見えた。自転車ファンやアニメファンだけに独占させるのはもったいない完成度の高さ。無駄な場面など一箇所もない。ジャパニーズ・アニメはやっぱり凄い!と胸をはろう。Venga PePe!(行け、ぺぺ!)

□2002年 日本映画  英語原題「Nasu:Summer in Andalusia」
□監督:高坂希太郎
□出演:(声)大泉洋、小池栄子、筧利夫、他

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