映画通信シネマッシモ


映画通信シネマッシモは、2018年4月をもって、終了しました。

ブログ終了にあたり、たくさんのあたたかいコメントをお寄せいただき、本当にありがとうございました。
皆さまの映画ライフに少しでもお役に立てたならこれほど嬉しいことはありません。
長い間のご愛顧に心より感謝いたします。

めぐりあう時間たち

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◆プチレビュー◆
ニコールの熱演は凄いが、あそこまで顔つきを変えるのなら、彼女でなくても良かったのでは…?という気も。「ダロウェイ夫人」や「The Hours」の小説と共に、V.レッドグレイプ主演の映画「ダロウェイ夫人」もぜひ。

1923年に英国で小説「ダロウェイ夫人」を執筆中の作家ヴァージニア・ウルフ。1949年、LAの閑静な住宅街に住む妊娠中の平凡な主婦ローラの愛読書は「ダロウェイ夫人」。2001年NYではダロウェイ夫人と同じ名を持つ編集者クラリッサが賞を受賞した友人のために祝賀会を計画する。時代も場所も異なる3人が抱える共通の悩みは、生きることへの不安。彼女たちの1日はいつも通りに始まったが、やがてその日は忘れられない決断の日となる…。

この複雑な話を見事に映像化したスティーブン・ダルドリー監督の手腕にまずは拍手したい。前作の「リトル・ダンサー」は心温まる話だがあくまで小品。これほど格調高い映画が作れる監督だったとは正直言って驚いている。昨今よく言われていることだが、舞台出身の監督の力量が確かだというのは、どうやら本当のようだ。

“花は私が買いに行くわ”。この共通のセリフで始まる物語は、3人の女性の1日の出来事を詩情豊かに描くもの。彼女たちが共有するのは、生への懐疑と根底にある同性愛傾向。3人の人生がアンサンブルを奏で、緻密に構成されて意外な結末へと収束していくのだ。精神を病んだウルフは入水自殺を選び、得体の知れぬ不安に苛まされる主婦ローラは死の淵まで行くことに。そして死はエイズ患者の元恋人の看病をするクラリッサの目の前を走り抜けた。彼女たちのすぐ隣に死が潜み、手招きしている。

穏やかな毎日に心から満足することができれば、どんなに幸せだろう。本能のままに生きようとすれば社会的役割との亀裂が生じる。平穏な人生の価値を認めながら、それへの嫌悪感で張り裂けそうな女達。豪華女優競演で話題だが、メリルにとっては余裕の演技、ニコールも付け鼻で美貌を消してまでの熱演だが、実は3人の中で最も困難な役は、ジュリアン演じる平凡な主婦ローラなのだ。理由のない不安と焦燥感を、ほとんど説明もなく表情だけで表してみせる。母親を失うまいと側から離れない幼い息子の視線が痛い。彼女が生きたのは、まだ女性に制約が多く、自分らしく生きたいと願えば大きな犠牲と世間の非難を伴った時代。そしてローラが支払った代償はとても大きなものだったが、それでも彼女はうわべの幸福よりもその道を選んだ。

小さな役にも気配りが効いていて、トニ・コレットやジョン・C・ライリー等、実力派が脇を締める。しかし、突出しているのは、エイズで余命いくばくもない作家リチャードを演じたエド・ハリスだろう。彼は劇中の、ある重要な架け橋の役を担っているが、ウルフ同様、作家の死を代償として、作中の人物に永遠の生を与えている。また、終盤、本来顔を合わせるはずのない二人が出会う場面があり大きな感動を生む。この場面には、思わず鳥肌がたってしまった。

華やかな女優達。美しいポスター。典型的な女性映画だ。自殺願望とも取れる話は、小難しいところもあって、実はかなりネクラだが、散りばめられた巧みな伏線と、構成の妙もあって深みのある傑作に仕上がっている。生と死の意味を問い、最後に生きることを決断する勇気を讃える物語と解釈したいが、見終わって、感動と共になんとも言えぬ不安感に襲われてしまうのが気になるところだ。この作品、観客にとって非常に危険な映画かもしれない。

□2002年 アメリカ映画  原題「The Hours」
□監督:スティーブン・ダルドリー
□出演:ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリル・ストリープ、他

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おばあちゃんの家

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◆プチレビュー◆
2002年アジア・フォーカス福岡映画祭にて上映された作品。ラスト、糸を通した沢山の縫い針を残していく場面に思わずもらい泣きした。だが、叱るということも大切だと思う!

母親の就職先が見つかるまでの間、田舎の祖母の家に預けられた都会っ子のサンウ。不便な田舎暮らしと、口もきけず読み書きもできないおばあちゃんのことをバカにする少年はわがまま放題だ。そんな孫をひたすら見守り、愛情を注ぎ続けるおばあちゃん。だが、ある事件をきっかけに、少年は祖母の優しさに気付きはじめる…。

今の教育では基本的に体罰は禁止されているかと思うが、「一回、ハリたおしてやろうか、このガキは!」と本気で思うほど、甘ったれで自分勝手な少年サンウがこの物語の主人公だ。大都会のソウル育ちで豊富なモノに囲まれて育っている。どうやら、母子家庭で親にかまってもらっていないという背景が見え隠れするが、だからといって同情する気にはなれない。正直言って、見ていてウンザリした。

おばあちゃんは口がきけず文盲という設定なので、いっさいセリフはない。聞けば、この役のキム・ウルブンは映画というものを見たことすらなかったとか。村の暮らしぶりや心根は、物語の設定そのもののような人物なのだろう。決して叱らず、自分ができる精一杯のことをサンウにしてあげるおばあちゃん。手のつけられない孫の少年を無償の愛情で包む姿は、ちょっと表現は大げさだが、後光がさして見えた。

サンウ少年は、祖母の作った料理には手もつけず持参した缶詰を食べ、ゲーム機で遊び、祖母の靴を隠したり、髪飾りを盗んだりする。村の子供に嘘をついてからかい、暇つぶしのつもりだ。無理を承知で「ケンタッキー・チキンが食べたい。」と言って祖母を困らせると、チキンだけは判ったおばあちゃんはかぼちゃとひきかえにニワトリを手に入れて丸ごとゆでる。もちろんサンウはゴネるが、鳥を手に入れるため、雨の中を出かけたおばあちゃんが体調を崩したのをきっかけに少しずつ変わり始める。自分のわがままを反省するというより、周囲の優しさに気付いたのだ。映画の中には様々なエピソードが盛り込まれ、それが観客の共鳴を生み、次第に目頭を熱くする。

少年の日のひと夏の思い出という映画の定番のスタイルをとっていて、同年代の友人との友情や、淡い恋心なども織り込み、主人公が田舎暮しになじみ始めた頃に別れが訪れる、これまたセオリー通りの展開。おばあちゃんの愛情は決して見返りを求めないもの。少年はちょっぴりいい子になるが、劇的に変わるわけではない。元の生活に戻れば、やがて山の暮らしは遠い思い出となって薄れてしまうだろうが、祖母の愛情は、心の中のふるさととして温かく記憶されていく。

性善説を基本とする儒教社会の韓国とはいえ、おばあちゃんの愛の形は、現実世界では功罪相半ばだ。山の中の、いわば異空間だからこそ成り立つ世界だろう。非常に東洋的ともいえる愛情表現を丁寧に描写しながら、感動と郷愁を誘う本作。場所は山の中ではなくとも、子供の頃、理由もなく周囲の人を困らせた経験は、誰にでもあるはずだ。いつも寂しげな悲しい顔をしているおばあちゃんがしばしば見せる、胸に手をあてて回すようにする動作がある。感謝、許し、安心…。いつだって自分はここにいるよと言っているかのようなこのしぐさが、映画の全てを語っていた。判っちゃいるけど泣かされる。この典型的なパターンに、またしてもやられてしまった。

□2002年 韓国映画  原題「The Way Home」
□監督:イ・ジョンヒャン
□出演:キム・ウルブン、ユ・スンホ、ミン・ギョンフン、他

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アマデウス ディレクターズ・カット

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◆プチレビュー◆
追加された部分は充分に素晴らしく、それにより作品に遜色が生じることなど決してない。加えてDC版は音の良さもある。それでもなお、未公開シーンがなくともきちんと辻褄があっていたオリジナルの完成度を思うと、やはり84年版が究極に研ぎ澄まされた形だったのだと改めて感じてしまう。

天才音楽家モーツァルトの謎の死を、同時代の宮廷作曲家サリエリの殺害説という大胆な仮説のもとに描く文芸大作。物語は、自殺未遂を図った老サリエリの回想形式で語られる。それは、一人の天才の才能に嫉妬し、狂気へ駆り立てられる男の想像を絶する告白だった。オリジナルは84年にアカデミー賞最優秀作品賞を始め、8部門を受賞し、ゴールデン・グローブ賞やセザール賞など数々の栄光を手にした不朽の名作。監督自らが編集を行ったディレクターズ・カット(DC)版は、20分の追加映像に加え、音声をデジタルでリミックス。より音響的に完成されて再登場している。

この映画のオリジナル版を初めて観た時の感動は、今でも忘れない。詳細な時代考証に基づく演出、無駄の無い脚本、素晴らしい音楽、深みのある俳優陣。どれをとっても一級品で、贅沢で完璧な映像は、傑作と呼ぶのに相応しく、80年代を代表する名作と断言できる。音楽シーンはデジタル処理された以外はオリジナルと全く同じで、追加された箇所は前半のドラマ部分に集中している。サリエリの陰謀により経済的に追い詰められるモーツァルトや、サリエリがモーツァルトの妻コンスタンツェを侮辱するシーンなどにより、観客は、終盤の人間的な葛藤や確執をより明確に理解出来る。

もともと舞台作品として書かれたこの物語は史実ではない。しかし丹念な考察に基づいて生まれたフィクションはアイデアに溢れ、奇跡的に歴史と符合してしまう。宮廷作曲家サリエリは自らは権力の座にいながら、同時代の天才音楽家モーツァルトに強く嫉妬していたのは、音楽史上知られた事実。しかし、なんといってもこの映画によって、大半の人が名前さえ知らなかったアントニオ・サリエリという人物を世の中に知らしめることになったのが、フィクションから生まれた最大の奇跡と言える。

わずか35年の生涯で626の作品を生み出した天才モーツァルト。彼の生涯には謎が多いが、ここでは好色で下品で幼稚、生活能力のない若者として描かれる。それなのにほとばしる音楽の才能はどうだ。しかも時代の転換期特有の新しいバイタリティに満ちているのだ。当時の人々の目には、とらえどころのない天才と映ったことだろう。時の皇帝は彼の才能を愛でるというよりも、教会権力への対抗のための武器として、彼の音楽を政治的に利用した向きが強い。しかし、サリエリだけは違った。彼はただ一人自分だけがモーツァルトの音楽の真の偉大さを理解すると自負していた。だからこそ狂おしいほど嫉妬するのだ。彼の音楽を死ぬほど愛しながらもたまらなく憎い。まことに愛憎紙一重の感情とはこのことか。

サリエリはモーツァルトのオリジナル楽譜を見て、1小節ごとに打ちのめされる。自分の才能のなさを知り、その絶望は神への怒りに変わった。いったい何故彼なのだ?自分は善人だがモーツァルトは?芸術の世界に善など無意味なことを彼は知らない。そして、遂に自分ではなくモーツァルトを選んだ神と決別し、復讐することを誓う。それがモーツァルト殺害計画だ。サリエリの、神との対話という演出スタイルが、例えようもなく見事だ。

こう書くと、天才モーツァルトと凡人サリエリの確執を描く人間ドラマと宗教が核のようだが、実は違う。確かにドラマも素晴らしいが、この映画の本当の主役は音楽そのものだ。もはや一人のキャラクターと言ってもいい。映画の常識では目に映るものが最も大切なのだが、この映画では、音そのものが主役。それはクライマックスでのレクイエム作曲場面ではっきりと示される。ベッドに横たわったモーツァルト、椅子に座ったサリエリ。主人公達は殆ど動かず、セリフは音楽用語ばかりだ。しかし、彼らによる共同作業の場面は、鳥肌がたつほど素晴らしく、音楽を最大限に引き立たせる演出が施されている。楽曲を分解した状態で完璧に頭の中で構築していく瀕死のモーツァルトの非凡な集中力と、それをただ口述筆記するサリエリというコントラストは極めて残酷だが感動的。芸術という名の神の声が五線譜の上で完成されていくこのシーンは、舞台では限りがある演出スタイルを、映画が完全に凌駕した忘れがたい名場面だ。

18世紀の面影が最も色濃く残るプラハで撮影された本作は、当時共産圏だったチェコスロバキアの様々な規制を受けながら製作されたもの。時代を超えたストーリーと心血を注いだ華麗な映像は、亡命者として祖国チェコを離れたフォアマン監督の渾身の作品と言えるだろう。ラストに流れるピアノコンツェルトは、満たされぬ切ない想いが溢れている。最後まで、全ての感覚を研ぎ澄ませて堪能したい傑作だ。

□2002年 アメリカ映画 原題「AMADEUS DIRECTOR'S CUT」
□監督:ミロス・フォアマン
□出演:F・マーリー・エイブラハム、トム・ハルス、エリザベス・ベリッジ、他

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ベッカムに恋して

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◆プチレビュー◆
サッカーの母国イギリスの女の子の夢がまぶしい。インドの結婚式の絢爛豪華さは毎度ながら驚かされる。女子プロサッカーでは米国がトップクラスであることも頭に入れておこう。

英国に住むジェスはベッカムに憧れるサッカーが得意なインド系の女の子。偶然、公園でプレイする彼女を見た白人少女ジュールズに誘われ、地元の女子サッカーチームに入って活躍するが、実はこのことは両親には内緒。なぜならジェスの家庭は伝統と対面を重んじる典型的なインド人ファミリーなのだ。コーチを巡る恋や家族とのあつれきに悩むジェスだったが、やがて両親に嘘がバレてしまう…。

思えば2002年W杯のベッカム熱は凄かった。日本中ににわか“ベッカム様”ファンが溢れ、さながらイングランドのホーム状態。病み上がりのせいもありプレイは精彩を欠いていたのだが、ルックスの良さのせいか、そんなことはおかまいなしだった。だが、この映画の主人公は違う。ちゃんとベッカムのプレーの素晴らしさを知った上で憧れているのだ。家族の反対にもメゲず夢に挑戦するのは女の子版「リトル・ダンサー」のようだが、ネックとなるのが経済的な事よりも文化の相違だからやっかいだ。

典型的なガール・スポ根ムービーで、ストーリー自体に目新しさはないのだが、いつのまにか映画の躍動感に引き込まれる。チームメイトとの友情や、コーチへの恋心なども定番だが、ヒロインがインド系であることで、家族愛や民族間の文化の違いを描き、社会問題にもアプローチする。家族とサッカーへの夢の間で悩むジェスは英国育ちのインド人。しかしインドで生まれ英国に移住した彼女の両親は、英国で自分達が味わった屈辱を思うと、娘に同じ思いをさせたくない。インド文化への誇りだってある。このジレンマがなんとも切ないわけだ。移民社会の複雑な実態は「ぼくの国、パパの国」でも描かれていたテーマだった。

珍しく普通の青年の役をするジョナサン・リース・マイヤーズに驚くが、やはりこの映画を魅力的にしているのは、大きな瞳と生き生きとした表情の、ジェス役のバーミンダ・ナーグラだ。これが本格的な映画デビューとなるが、この役のためにサッカーの猛練習をしたそうで、ドリブルでかわす姿はなかなかのもの。蹴ったボールをロー・アングルで追跡するのは、ウェゴという特殊な機械を使っている。CGにはないリアルな動きで、芝の香りと疾走感が伝わってくるようだ。

冒頭の場面で元W杯得点王のリネカーが出演する等のサービスが楽しい。ドイツに遠征して負けた時には「ドイツと英国の伝統だ。」と言って、1966年のイングランド大会での“疑惑のゴール”後、両国民が判定をめぐって真っ向から対立し、以後イングランドが伝統的にドイツを苦手としている事をサラリと盛り込む。なかなか、ツウ好みのサッカー映画だったりするのだ。デビッド・ベッカムという選手が、フリーキックと正確無比なクロスを特徴とすることもストーリーに上手く活かしている。当時、スキンヘッドだったベッカムを、ジェスの両親が“ハゲ男”と呼ぶのが可笑しい。

それぞれの立場の人間の歩み寄りの大切さと、家族と自分の夢との間で揺れ動くジェスの心を、笑いと涙で描いていく。人種や性別を超えてつかんだ夢はとびきり晴れやかだ。原題の「BEND IT LIKE BECKHAM」とは“ベッカムのようにボールを曲げろ”の意味。ベッカムの蹴るフリーキックが大きく曲がり、ゴールネットへ吸い込まれるように、自分の力で弧を描いて人生の軌道を上昇させていく姿が最高にまぶしい。

□2002年 イギリス映画  原題「BEND IT LIKE BECKHAM」
□監督:グリンダ・チャーダ
□出演:パーミンダ・ナーグラ、キーラ・ナイトレイ、ジョナサン・リース・マイヤーズ、他

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シカゴ

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◆プチレビュー◆
キャサゼタ姐御のド迫力には恐れ入った。さすがはM.ダグラスのヨメさんなだけある。このお話はなんと実話がベースで、過去に2度ほど映画化されている。チョイ役で特別出演するルーシー・リューが大暴れするのが楽しい。

1920年代のシカゴ。スキャンダル好きで飽きっぽいこの街で、またしても殺人が。舞台スターを夢見るロキシーが不倫相手を殺して逮捕されたのだ。獄中の先客で大スターのヴェルマも同じく殺人罪だが、敏腕かつ金権弁護士のビリーを雇って刑務所の中で脚光を浴びている。彼女を見て刺激されたロキシーは、同じくビリーと手を組んで一躍スターダムにのしあがろうとするが、世間の注目を奪われたヴェルマが黙っているはずはない…。

元は75年に故ボブ・フォッシーが手がけた大ヒット舞台劇。映画「キャバレー」でも有名なフォッシーの演出なだけあって、当然テイストはダークで退廃的だ。スキャンダルを利用してショウビジネス界でのしあがろうとする二人の歌姫と、名声を操るやり手の弁護士の思惑が交錯する物語は、家族愛や人間愛というモラルとはいっさい無縁の世界。しかし、この映画にはそんなものはなくとも圧倒的な魅力がある。

大きな目のアップの導入部から、階段を駆け上るスピーディなショット。名曲「オール・ザット・ジャズ」で始まるオープニングは、文句なくかっこいい。粋なステージを最初からたっぷり見せられたら、もう誰もがこの作品のとりこになってしまう。舞台でキャリアを積んだR.マーシャルは本作が初監督ながら、その手腕は非常に高い。エネルギッシュなパワーが大スクリーンに炸裂、ゴージャスなドラマの幕開けだ。

唐突に歌いだし、不自然に明るいミュージカルを苦手とする人は案外多い。しかし、本作の演出の特徴は、登場人物の空想部分をショウ形式で表現していること。本来、留置所という地味な場所ながら、心象風景を歌と踊りで華麗に演出、華やかなステージとサスペンスフルな裁判を同時進行させる。不自然さは皆無で、その切り替えが実に巧みなのだ。更にこの映画の最大の魅力はブラックさ。なにしろ素材は“美人妻の不倫殺人”。獄中にいる人物が茶番劇の裁判で時代の寵児になり代わるというから、相当にクレージーではないか。さぁ、最後に笑うのはいったい誰か。

出演俳優の達者なパフォーマンスも見逃せない。聞けばキャサリンとギアは経験者。初挑戦のレニーは、二人に比べてやはりちょっと拙い。舌たらずな歌い方はハラハラさせられるが、それが、少し頭は弱いがしたたかでコずるいロキシーというキャラにピッタリ合っていて、結果的に成功しているからたいしたものだ。ギアはタップがもっぱら話題だが、腹話術で人形を操るシーンがアイロニカルで出色の出来。グラミー賞歌手Q.ラティファの上手さは言うまでもないが、気弱で哀れな、ロキシーの夫役のジョン.C.ライリーの歌の意外な味わい深さも捨て難い。

ミュージカル映画のオスカー受賞は60年代の「オリバー!」以来の快挙だ。全員が悪いヤツ。したたかに生き抜く彼らの姿は、なんと痛快なことか。悪の魅力に満ちた男女の原動力は、名声への欲望だ。きらびやかで猥雑、甘美な陶酔感がたまらない。久しぶりに“極上”という言葉が思い浮ぶ、大人のためのエンターテイメント映画の誕生だ。

□2002年 アメリカ映画  原題「CHICAGO」
□監督:ロブ・マーシャル
□出演:レニー・ゼルウィガー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、リチャード・ギア、他

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過去のない男

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◆プチレビュー◆
音楽ツウのカウリスマキ。本作でもフィンランドのムード歌謡の“イスケルマ”がたっぷり聴ける。我ら日本人には、クレイジーケンバンドの「ハワイの夜」が大ウケ。何とも笑える選曲だが、歌詞と男の心情がぴったり合っていて、非常に効果的。ところで、フィンランドのビュッフェって、本当にお寿司と日本酒が出るの?

夜汽車でヘルシンキにやって来た中年男が、公園で暴漢に襲われ記憶喪失になる。自分の名前すら判らないままに、周囲の人々の支えで貧しいコンテナ暮らしを始めることに。救世軍の女性イルマに恋心を抱いたり、銀行強盗に遭遇したりしながら、つつましくも充実した日々を過ごすが、ふとしたことから、自分の身元が判明する…。

こんなことを言うと失礼だが、アキ・カウリスマキ監督の存在がなかったら、フィンランドでも映画が作られていることに気付かなかったかもしれない。それくらい、この監督はかの国を代表する人物なのだ。しかし、彼の作品の出来には非常に波があり秀作「浮き雲」で唸らせるかと思えば、無声映画に挑戦した「白い花びら」は心底、失望した。要するに当たり外れが大きいわけで、カンヌで賞を取ったからといって油断はならない。

最近、記憶を題材にした映画が多いが、この作品は相当にユニーク。なぜなら、主人公や周囲の人々は、彼の氏素性にまったくこだわらない。男が記憶喪失だからといって、さしたる心配も同情もしてない様子。貧しく、しがない市井の人々は、ただ目の前にいる男をあるがままに受け入れるのだ。そして「人生は前にしか進まない。後ろ向きに進んだら大変だ。」などと、含蓄のあることをさらっと言ってのける。

すっとぼけたユーモアと優しく叙情的なセンチメンタリズムがカウリスマキの持ち味だが、もう一つの特徴は、いつも舞台が都会の片隅であることだ。北欧の映画は、厳しくも美しい自然が効果的に使われることが多いが、彼の映画の舞台はいつも決まって“いなか町”。田舎でも都会でもなく、田舎町というところがミソで、そこには底辺に生きる人々の営みと、ささやかな幸せに注がれる温かい視線がある。

映画には地味ながら個性的で味わい深い人物が多く登場するが、中でも記憶に残るのが、番犬役のタハティ。劇中ではハンニバル(食人鬼)というぶっそうな名前だが、なんとも憎めない。過去のカウリスマキ作品にも出演した犬たちの血を引く由緒正しき名女優犬で、カンヌ映画祭ではパルム・ドッグ賞を受賞しており、要チェックだ!

また、カウリスマキ作品常連の不幸顔の女優カティ・オウティネン扮するイルマが、初めての恋にとまどいながら、デートの前に化粧をする場面がある。慣れない手つきでマスカラをつけるが、普通は見るであろう鏡がない。この設定で彼女がこういうことに縁遠かったのだと判り切ないが、無表情なイルマの不器用な恋に、思いがけないハッピーエンドが訪れるのが、心にしみた。

ユニークで独特のペーソスと共に描く小さな幸福。未来への希望を信じる姿は、今だからこそ貴重な生き方といえはしないか。「この世は、神の慈悲でではなく、自分で生きなければ」。名前や肩書きなどなくとも、一人の人間として2本の足で大地を踏みしめ生きていく。その証拠に、終盤に自分の素性を知った主人公の目線は、過去ではなく未来へ向けられていた。相当に深いテーマなのに、あっさり描くところがすこぶる良い。今回のカウリスマキ映画は、見事に当たりだ。

□2002年 フィンランド映画  原題「mies vailla menneisyytta」
□監督:アキ・カウリスマキ
□出演:マルック・ペルトラ、カティ・オウティネン、タハティ(女優犬)、他

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キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

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◆プチレビュー◆
30歳に近いディカプリオが28歳のふりをした高校生を演じるというから、ややこしい。でも、ちゃんと16歳に見えるから不思議。実在のアバグネイル本人もフランスでの場面に警官役でカメオ出演している。

1960年代のアメリカ。両親の離婚にショックを受け、家出したフランク・アバグネイルは、まだ高校生だが偽造小切手詐欺を思いつき、パイロットや医者、弁護士に巧みになりすまして大金を手に入れていた。彼を追うFBI捜査官カール・ハンラティはなかなかフランクの手がかりをつかめずにいたが、ふとしたことから、犯人はまだ子供なのではないかと思いつく…。

高校生がパイロットや医者になりすまして、世界中を渡り歩き、小切手詐欺で大金をせしめる。本当か?!と疑いたくなるが、実話だと言われては納得するしかない。60年代初頭というのどかな時代には、人を無条件に信じる空気が満ちていたのだろう。ここには、黒人差別やヒッピー、ベトナム戦争の影も見えない。

若き天才詐欺師と敏腕捜査官の追いかけっこの形をとっているが、実はこの映画、心に傷を負った息子と父の物語が裏テーマだ。フランクが詐欺を繰り返すのは、金の力で、両親の仲が元通りになり家庭の幸せが戻ると信じているから。一方、追う側のカールも離婚した身。フランクを追ううちに、二人は擬似親子的感情を持つようになり奇妙な友情が芽生える。家庭が崩壊し、親から捨てられる子供というのは、スピルバーグの実体験から生まれる毎度十八番の設定なのだ。

レオは19世紀のNYの荒々しさを描いた「ギャング・オブ・ニューヨーク」で、ハンクスは大恐慌時代の殺し屋役「ロード・トゥ・パーディション」で、スピルバーグは暗い近未来SF「マイノリティ・リポート」で、それぞれ深刻な映画をこなした後の本作。肩の力が抜けた、いい意味で軽い作風に仕上がっている。もちろん、M.シーンやN.バイといった脇役の上手さも忘れちゃいけない。特に、息子に詐欺心を植え付けた父親役のC.ウォーケンは、登場するたびに落ちぶれていくが、それでも子供を愛する気持ちと頑張るオヤジの姿を見せる所が泣けてくる。欲を言えば、フランクの詐欺の腕が研ぎ澄まされていく過程の描写が、もっと丁寧であってほしかった。

詐欺の映画の名作といえばすぐに思い浮かぶのは「スティング」。しかし、本作は詐欺の手口や逮捕の捕物帖的要素は二の次だ。その証拠に、本当のクライマックスはフランクが捕らえられた後に用意されていた。逮捕され一度は自由になったフランクの前には2つの選択肢が。自由きままな詐欺師稼業と、堅気の社会人への道。さぁ、どうする。実話だから結果は判っているのに、やっぱりドキドキさせられるのだから、スピルバーグの演出はやっぱりスミにおけない。

ファッションや音楽も明るくノーテンキ。全てのものが、幸せさえもお金で買えると錯覚してしまうような時代には、こんな痛快な犯罪も起こってしまうのか。しかし、憎めない悪党が主人公の映画は実に楽しい。冒頭のタイトルバックのアニメの完成度が、これまた極めて高いのでお見逃しなく。

□2002年 アメリカ映画  原題「Catch me if you can」
□監督:スティーブン・スピルバーグ
□出演:レオナルド・ディカプリオ、トム・ハンクス、クリストファー・ウォーケン、他

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ピノッキオ

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◆プチレビュー◆
「ウソをついてはいけません」のコピーは「ライフ・イズ・ビューティフル」と矛盾するが、いいのか?!感心したのは、妖精が乗る何百匹ものネズミにひかせた馬車の造形の美しさくらい。思い出のピノキオを返せ〜っ!

ジュゼッペじいさんが1本の丸太から作った人形の名はピノッキオ。青い妖精から命を吹き込まれるが、イタズラばかりしている。やがて自らがまいたタネで様々な災難に見舞われ、父親代わりのジュゼッペじいさんとも離れ離れになってしまう…。

カルロ・コッローディによって書かれたイタリアの童話「ピノッキオの冒険」を故フェリーニはいつか映画化したいと思っていたらしい。彼の遺作「ヴォイス・オブ・ムーン」に主演したR.ベニーニはその遺志を受け継ぎ、イタリア映画としては破格の予算をかけて映画化。巨匠へのオマージュとも言える作品を生み出した。ピノッキオの生誕120周年とも重なり、本国イタリアでは大ヒットを記録している。

物語はディスニー映画「ピノキオ」とは異なり、原作に忠実。けっこうシュールな場面があったりと、ピノッキオの物語はこう展開するのかとかなり驚かせてくれる。海のシーンや親友ルシーニョロの扱いにも注目だ。セットも見事で、芸術の国イタリアらしく色彩が素晴らしい。しかし、子供を演じる若作りの俳優たち、特にピノッキオ役のベニーニの存在が、観客をファンタジーの世界から大きく遠ざける。

冒頭にテロップで「私も50歳。ジュゼッペじいさんを演じられる歳になりました。」との一文が流れるが、じゃあ、どうして無理してピノッキオを演じるの。イタズラ好きのピノッキオの、いやベニーニのテンションは物語を通して限りなく高く、熱演というより怪演だ。頑張りは認めるがベニーニが大はしゃぎすればするほど、こちらは冷めていく。だいたい、ヒゲの剃りあとも青々とした薄らハゲのおっさんを、ピノッキオだと言われても夢も親しみも感じないし、今更、私は受け入れ難いのだ。

オリジナルなのだからしかたがないが、駄々っ子でわがまま放題のピノッキオを、青の妖精が何度も無条件に助けるのも疑問だ。「彼は優しい心を持っているの。私にはそれが分かる。」そりゃ、そうでしょう。演じるN.ブラスキはベニーニの女房だし。人間になりたがるピノッキオに“人間の資格”を説くのが妖精さんの役目だろうが!甘やかしてどうする。悪さをしてもすんでのところでいつも助けてもらえるのは、まるでドラえもんに迷惑をかけては泣いてすがるのび太君と同じじゃないか。それでいいのか、ピノッキオ。世の中そんなに甘くないゾ。

故フェリーニは虚構の世界が大好きだったが、そのファンタジックな世界感は、あくまでもシニカルでブラックなもの。作り物であることの残酷さと言い換えてもいい。名曲“星に願いを”のメロディと共に、ディズニーアニメのイメージが定着しているのも違和感を感じる大きな理由かもしれないが、どう考えてもフェリーニの意図とは違う気がする。派手な衣装を着て飛び跳ねながら騒いでいれば、子供の人形に見えると考えているのなら、我々観客も随分ナメられたもんだ。

□2002年 イタリア・アメリカ合作映画  原題「PINOCCHIO」
□監督:ロベルト・ベニーニ
□出演:ロベルト・ベニーニ、ニコレッタ・ブラスキ、キム・ロッシ・スチュワート、他

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小さな中国のお針子

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◆プチレビュー◆
文革時代の中国ではお針子が仏文学に啓蒙される。一方、ゴダールの「中国女」は、毛沢東思想に傾倒する仏人学生が主人公。隣の芝生はやっぱり青い。

1971年の中国。文化大革命の嵐が吹き荒れる中、ブルジョアで知識階級の息子のマーとルオの二人は再教育のため、四川省の山奥へ送られ厳しい肉体労働を課せられる。全ての文明から隔離されたようなその場所で、彼らは村で唯一の仕立て屋の孫娘である美しいお針子に出会い、たちまち恋に落ちる。二人は彼女のために、隠してあった禁書であるフロベールやユーゴーなどの西欧文学を読み聞かせることを思い立つ。

都会育ちの二人の青年と、文字も読めない美少女との恋。物語は三角関係に陥りそうだが、実はそうはならない。文革という尋常ならぬ時代を背景にしつつも、時間が止まったような美しい山岳地帯の自然と、そこに暮らす人々の営みが、素朴に、時にはユーモラスにスケッチされる。新しい思想に触れた少女が自由を知る姿を描いた本作は、単なる文革批判とは一線を画した詩情豊かな秀作。美しいお針子を目覚めさせたのは、かの文豪バルザックだった。

知識人が文明から隔離される苦痛はF.ロージの「エボリ」を、本を禁じる設定はF.トリュフォーの「華氏451」を連想するが、この映画の主人公達は若き10代。悲壮感は少なく、むしろ浮世離れした寓話の様な趣を感じさせる。お針子が水から姿を現す場面、水中での官能的なラブシーンなど映像的にも見所が多い。霧に霞み幾重にも重なる緑の山々に響き渡るモーツァルト。バイオリンで奏でるその曲を「毛主席を讃える歌」と村人に説明する機転が笑える。デュマの物語を聞いた仕立て屋の老人が、見た事もない海をイメージしてマリンルックを作ってしまうのも痛快なエピソードだ。

「ゴリオ爺さん」「谷間の百合」等で知られるバルザックがお針子のお気に入り。なぜバルザックかと問われると、女性の美についてとてもよく書かれているからと答える。既に彼女は変わり始めていたのだが、青年たちはその事に気付くのが遅すぎた。

文学に触れて読み書きを学び、自我に目覚めた彼女は、ルオを愛し、更に自由を愛することを学んでいた。ルオとマーの中に無意識にある、都会の知識人の小さな優越感など軽々と飛び越え、夢を抱いた彼女は、強い意志である決断を下す。長い髪を切って未来を見据えるお針子を、誰も止めることはできない。

時が流れ時代は変わり、ルオとマーはフランスと上海で成功しているが、ある日テレビで、青春時代を過ごしたあの村がダム建設で水没することを知る。お針子を愛しながら言い出せなかったマーは再び村を訪れ、紙の船を水に流す幻想的な祭りに参加するが、切ない想いを残して消えたお針子の姿は、無論そこにはない。だが、雲の合い間に見る山の姿はあの頃と少しも変わらず壮麗だ。

お針子を導いたのはバルザックだが、一冊の本が人間の人生を大きく変え、未知の世界へと誘う素晴らしさに無限のパノラマを見た。少女に名前はなく、ただ“お針子”とだけ呼ばれることで、彼女は普遍的な存在となる。ラストシーン、水はミシンと瀟洒な香水のビンをのみ込み、水中では、バイオリンを弾くマーと本を読むルオ、笑顔のお針子の3人の楽しげな姿が見える。湖底に消える村はやがて忘れられるだろう。文明は彼らの青春の日々を暴力的に奪い、かけがえのない美しい記憶は、永遠に水の中に封印されてしまうのだ。

□2002年 フランス映画(中国語)
□原題「Balzac et La Petite Tailleuse Chinoise」
□監督:ダイ・シージェ
□出演:ジョウ・シュン、チュン・コン、リィウ・イエ、他

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ボウリング・フォー・コロンバイン

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◆プチレビュー◆
ドキュメンターは地味だが、大好きなジャンル。中でも本作はアプローチの面白さと今の不穏な社会情勢に合致して無視できない1本。

1999年4月20日、米国コロラド州のコロンバイン高校で、生徒2人が銃を乱射、13人を殺害した後、自身も自殺するという衝撃的な事件が発生した。全米は震撼し、映画やTV、ゲームの暴力的表現が原因だ、家庭の崩壊、高い失業率、建国以来の暴力の歴史のせいだとヒステリックに騒ぎ立てた。だが本当にそうなのか?そもそも、なぜ米国だけが銃犯罪が多発するのか?この疑問を独自のスタンスで追求する男がいた。

その人物の名はマイケル・ムーア。現在、アメリカで最も影響力を持つジャーナリストで、著書も爆発的な売れ行きだ。巨体を包むのはヨレヨレのTシャツにジーンズ、野球帽。この憎めない風貌でアポなし突撃取材を敢行し、企業や個人にインタビューを繰り返す。その様子はまるでゲリラ戦法だが、ムーアの武器は笑いとカメラだ。とぼけたルックスの彼の口調はソフトだが、その内容は非常に知的で鋭い。

多くのインタビューと共に、徐々に病んだ米銃社会の矛盾した姿が浮き彫りになる。先にあげた各メディアが挙げた事件の原因と思われる要因の実態は、ことごとく覆される。ゲームは日本の方が進んでいるし、家庭崩壊は英国の方がひどい。民族の残酷な歴史はドイツが、銃の保有率と失業率はカナダの方が上だ。なのに米国の銃犯罪による死亡率はダントツで世界一。世界で1番はいいが、この数字はいかがなものか。

テーマは極めてシリアスなのに、大いに笑えるのがまず驚く。社会派ドキュメンタリーでありながら娯楽映画としても一級品なのだ。もっともそのユーモアにはたっぷり毒が含まれているから要注意。インタビュー以外にもニュース映像やアニメなどを盛り込んだ構成は、スピーディで飽きさせない。武力行使をまくしたてるブッシュ大統領もここでは一人のタレント扱い。名曲「この素晴らしき世界」の使い方も見事だ。

自らも全米ライフル協会の会員であるムーアは、銃規制にも銃擁護にも一定の理解を示す中立の立場で取材を行うが、ライフル協会の会長にして大物俳優のC.ヘストンの豪邸でのインタビューは見ものだ。先ごろ、自らのアルツハイマー病を公表した彼は名作「ベン・ハー」のポスターを背に座り、ムーアの質問に追い詰められていく。言葉につまり、終いには一方的に席を立つ彼に、戦車を駆り、紅海を二つに割った威厳はどこにもなかった。

最も印象深いのは、犯人が愛聴していたハード・ロック歌手のM.マンソンだ。彼はグロテスクな風貌とパフォーマンスで知られるが、この事件をアメリカ人が互いに抱く恐怖に基づくと分析する。そしてその恐怖が消費と結びつき、大企業の利益を生む社会構造を見抜いているのだ。少年を銃に向かわせた責任の一端を背負わされた形の彼が、これほど冷静で的確に事件を俯瞰しているとは。さらに、もし犯人に会うとすれば?という問いには、彼らに話をするのではなく彼らの言う事に耳を傾けると言う。死や暴力を歌うマンソンのインタビューは、この記録映画の白眉と言えよう。

銃による被害者を引き連れて、大手スーパーでの弾薬の販売を止めさせてしまったムーア。どんなインテリにも成し得なかった快挙で、この作品のパワーの一例だ。不屈のジャーナリスト魂が炸裂する本作は、明快な結論は提示しない。世界最強国を蝕む不寛容と暴力を改めて考える時が来ている。タイトルは犯人が事件の朝、ボウリングを楽しんでいたことに由来する。4月20日。その日はヒトラーの誕生日だ。カンヌ国際映画祭55周年記念特別賞という新しい賞を設置させてしまったほどのリアル・エンターテイメントの力を、その目で確かめてほしい。

□2002年 カナダ映画 原題「Bowling for Columbine」
□監督・脚本・主演:マイケル・ムーア
□出演:チャールトン・ヘストン、マリリン・マンソン、ジョージ・W・ブッシュ、他

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