地獄の黙示録 特別完全版 [DVD]地獄の黙示録 特別完全版 [DVD]
◆プチレビュー◆
これぞ不動のマイ・ベスト・ムービー。何度観ても心が騒ぎ、恍惚感を味わってしまう。

ベトナム戦争が泥沼化していた60年代末。カンボジアの密林の奥地に失踪し、私兵集団を率いて自ら王として君臨する脱走将校カーツ大佐の暗殺指令を受けた米軍のウィラード大尉。哨戒艇で川を遡り、戦場をひた進む彼は、その途中で戦争によって狂気に陥ったさまざまな人間に出会う。戦場の矛盾を自問しながら次第に任務を越えてカーツへの共感とも尊敬ともつかぬ固執に捕らわれていく。そして密林の果てにウィラードが見たものとは…。

79年に「ブリキの太鼓」と分け合う形でカンヌでグランプリを獲得した、コッポラの問題作が、53分の未公開映像を加え監督自らの再編集で、より解りやすく完全な形で蘇った。傑作か駄作かと大論争を呼んだ難解な作品だが、今の世相だからこそ加えられるシーンも多く、改めて観た今、文句なしの偉大な作品であると確信する。特命を帯びた男の視点から戦争の狂気を浮き彫りにしていく、今までにない切り口。戦争映画という枠ではくくれない、一種寓話的で哲学的なこのロードムービーの最大のテーマは“欺瞞”。戦場で繰り広げられる様々な偽善や嘘を鋭くえぐっていく。

あまりにも有名な映画だが、その一方で難解さもピカいち。しかし、この完全版で追加されたエピソードによって、より深く人間性が掘り下げられ、かなり理解しやすくなっている。今回初めてこの映画をご覧になる方もいらっしゃるかと思うが、完全版を見てから、オリジナルを見るのもまた鋭さを味わえておもしろいだろう。追加されたシークエンスは大きく分けて、仏人入植者のシーン、慰問のプレイメイトたちのその後のエピソード、カーツ大佐の会話、そしてサーフボードを盗むコミカルな場面の4つ。特にフレンチプランテーションの場面は長く、こんな大切なシーンがカットされていたのかと驚かされた。仏人との食事の場面とカーツ大佐の追加シーンでは、アメリカがいかに無意味な闘いを繰り広げたかが容赦なく語られる。また女性キャラクターの登場も完全版の特徴のひとつ。仏殖民農園で出会う幻のように美しい未亡人とウィラードはつかのまの愛をかわすが、これは戦争映画ではかなり珍しい甘美で奇妙なラブシーンで、ウィラードがいかに心を病んでいるか、そして、アヘンの幻覚の中とはいえ、彼が一瞬生きている感覚を味わう興味深い場面だ。「殺すあなたと愛するあなた。」「生きている。このことが大切なのよ。」このセリフの重要性に注目だ。演じるのは「ルシアンの青春」のオーロ−ル・クレマン。プレイメイトの米人女性のセクシーさと仏人未亡人の官能性の対比もおもしろい。

観ている私たち全てを船に乗せ、旅へと導くこの映画の主人公はウィラード大尉。彼はほとんど感情を表に出さない男で、オーバー・ヴォイスのナレーションを通じてやっと観客はこの人物の内面を知ることができる。最初のキャスティングではこの役はハーヴェイ・カイテルだったのだが、撮影途中での主役の交代という荒業をやってのけたコッポラ監督の目は正しく、端正な容貌と低く冷淡な声を持つマーティン・シーンの演技は、やはり彼しかいないと思わせた。オリジナルではニコリともせず一度も笑顔を見せない彼だが、完全版では笑うシーンがあり、ウィラードも旅の最初は“まとも”だったことを表している。彼は旅の途中で出会う、極端なまでにデフォルメされた人物たちをいつもあきれて見つめるが、心は常にうつろで、冷笑的。もちろんベトナムの矛盾や軍の偽善にも気付いている。それでいて戦争という枠の中でしか生きられない自分。だからこそカーツの心情が彼には理解できる。特にベトナム人をのせた船を衝動的に攻撃する場面で、虫の息の若い女性に容赦なくとどめをさすシーンはショッキングで、観客が感情移入できる主人公という大原則をくつがえしている。しかし、ウィラードは、自分で攻撃しておきながら、病院に運ぼうとする偽善が許せない。前半に登場するキルゴア大佐は三度のメシよりサーフィンが好きで、波乗りしたさに爆撃を加え、村を焼き払っておきながら女子供を懸命に助けたりする狂気の人物。このキルゴアから逃げながらサーフボードを盗むエピソードも嘘と矛盾に対するウィラードのささやかな抵抗とみることができる。この旅は実はウィラードの自分探しのオデッセイアでもある。そして、任務の果てにたどり着いた先で出会うカーツは、自分自身という皮肉。

「ゴッド・ファーザー」で名声を確立したコッポラが人生を賭けて制作した一大叙事詩は、映画制作そのものが狂気と化したものだった。遅れに遅れる撮影日程、キャスティングの紆余曲折、未曾有の台風による撮影機材の損壊、内容に難色を示した米軍の協力拒否、長期のフィリピン・ロケによる疲労と病気、ストレスと心臓発作で緊急入院し生死の境をさまよった主役のM.シーン、ダイエットに失敗し、原作すら読まずに撮影に現われたM.ブランドのわがまま、決まらないエンディングとコッポラの焦燥、そして膨れ上がるスケールと製作費。これらの数限りない障害が、結果として画面に異様なまでの迫力を生み出すことになる。さらに、果てしなく続く編集作業が待ち受けて、遂に未完成のまま出品されたカンヌ映画祭。賞を獲得したものの、世界中で巻き起こった論争は今も続いているが、この特別完全版はそれらにコッポラ自身が出したひとつの答えなのだ。

全てが卓越したこの映画だが、特に音楽の巧みな選曲には唸る。冒頭とカーツの殺害場面で流れるドアーズの「ジ・エンド」や有名な「ワルキューレの騎行」の迫力、実父カーマイン・コッポラによる効果的な音楽の数々は、才能ある監督は往々にして音楽センスがいいと改めて納得だ。事実、名作と呼ばれる作品には必ずといっていいほど、すばらしい音楽が寄り添っている。更にこの映画の魅力は、終盤になればなるほど冴え渡る悪魔的に美しい映像。世界で最も才能のある撮影監督の一人ヴィットリオ・ストラーロによる映像は、ダビンチが描く風景のように深遠で重厚。彼が絵画の国イタリア出身であるのは必然なのだ。当然のように本作でアカデミー撮影賞を受賞している。

オリジナルは数えきれないほど観たが、完全版の解りやすさの要因は間違いなく字幕にある。ご存知、戸田奈津子氏だが、この映画を真に深く理解していないと、これほど的確な訳はできない。映画字幕は、直訳すればいいというものではないのだ。素直に脱帽である。

ウィラードとカーツの本質は同じと気付けば、この難解なラストも見えてくる。父と子のような、ひいては同一人物のような彼らは戦争の中でしか生きられない。カーツは完全に正気ではなく、ウィラードもおそらく正気ではない。但し、戦争の欺瞞を冷めた目で見ながら理性を残している所がウィラードの悲劇だ。カーツの命を絶ち、彼の後継者として密林の王になる選択を捨て、もとの場所へと戻るウィラードは、武器を手放し、原住民の武装を解除して去っていく。このエンディングはオープニングへとループしていく。

原作はオーソン・ウィルズも映画化を試みたジョセフ・コンラッドの「闇の奥」。密林では故郷を思い、故郷では密林に恋焦がれる。橋を架けては壊す繰り返し。戦争を止めてはまた始める人間。過ちを繰り返す人間の愚かしさをベトナム戦争という狂気のショーで私たちに魅せるのが「地獄の黙示録」という映画だ。観るほどに血が騒ぐ不思議な陶酔感。洗練されている。この表現が最も近い。鑑賞するのではなく、体感する映画だ。戦争の狂気を描き、1979年にカンヌでグランプリに輝いた怪作の見事な復活を見よ。これほど優れた映画にめぐり合う事はめったにない。まさに傑作にして怪作だ。

□2000年アメリカ映画 原題「Apocalypse Now REDUX」
□監督:フランシス・フォード・コッポラ
□出演:マーロン・ブランド、マーティン・シーン、ロバート・デュバル、他

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