過去のない男 [DVD]過去のない男 [DVD]
◆プチレビュー◆
音楽ツウのカウリスマキ。本作でもフィンランドのムード歌謡の“イスケルマ”がたっぷり聴ける。我ら日本人には、クレイジーケンバンドの「ハワイの夜」が大ウケ。何とも笑える選曲だが、歌詞と男の心情がぴったり合っていて、非常に効果的。ところで、フィンランドのビュッフェって、本当にお寿司と日本酒が出るの?

夜汽車でヘルシンキにやって来た中年男が、公園で暴漢に襲われ記憶喪失になる。自分の名前すら判らないままに、周囲の人々の支えで貧しいコンテナ暮らしを始めることに。救世軍の女性イルマに恋心を抱いたり、銀行強盗に遭遇したりしながら、つつましくも充実した日々を過ごすが、ふとしたことから、自分の身元が判明する…。

こんなことを言うと失礼だが、アキ・カウリスマキ監督の存在がなかったら、フィンランドでも映画が作られていることに気付かなかったかもしれない。それくらい、この監督はかの国を代表する人物なのだ。しかし、彼の作品の出来には非常に波があり秀作「浮き雲」で唸らせるかと思えば、無声映画に挑戦した「白い花びら」は心底、失望した。要するに当たり外れが大きいわけで、カンヌで賞を取ったからといって油断はならない。

最近、記憶を題材にした映画が多いが、この作品は相当にユニーク。なぜなら、主人公や周囲の人々は、彼の氏素性にまったくこだわらない。男が記憶喪失だからといって、さしたる心配も同情もしてない様子。貧しく、しがない市井の人々は、ただ目の前にいる男をあるがままに受け入れるのだ。そして「人生は前にしか進まない。後ろ向きに進んだら大変だ。」などと、含蓄のあることをさらっと言ってのける。

すっとぼけたユーモアと優しく叙情的なセンチメンタリズムがカウリスマキの持ち味だが、もう一つの特徴は、いつも舞台が都会の片隅であることだ。北欧の映画は、厳しくも美しい自然が効果的に使われることが多いが、彼の映画の舞台はいつも決まって“いなか町”。田舎でも都会でもなく、田舎町というところがミソで、そこには底辺に生きる人々の営みと、ささやかな幸せに注がれる温かい視線がある。

映画には地味ながら個性的で味わい深い人物が多く登場するが、中でも記憶に残るのが、番犬役のタハティ。劇中ではハンニバル(食人鬼)というぶっそうな名前だが、なんとも憎めない。過去のカウリスマキ作品にも出演した犬たちの血を引く由緒正しき名女優犬で、カンヌ映画祭ではパルム・ドッグ賞を受賞しており、要チェックだ!

また、カウリスマキ作品常連の不幸顔の女優カティ・オウティネン扮するイルマが、初めての恋にとまどいながら、デートの前に化粧をする場面がある。慣れない手つきでマスカラをつけるが、普通は見るであろう鏡がない。この設定で彼女がこういうことに縁遠かったのだと判り切ないが、無表情なイルマの不器用な恋に、思いがけないハッピーエンドが訪れるのが、心にしみた。

ユニークで独特のペーソスと共に描く小さな幸福。未来への希望を信じる姿は、今だからこそ貴重な生き方といえはしないか。「この世は、神の慈悲でではなく、自分で生きなければ」。名前や肩書きなどなくとも、一人の人間として2本の足で大地を踏みしめ生きていく。その証拠に、終盤に自分の素性を知った主人公の目線は、過去ではなく未来へ向けられていた。相当に深いテーマなのに、あっさり描くところがすこぶる良い。今回のカウリスマキ映画は、見事に当たりだ。

□2002年 フィンランド映画  原題「mies vailla menneisyytta」
□監督:アキ・カウリスマキ
□出演:マルック・ペルトラ、カティ・オウティネン、タハティ(女優犬)、他

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