ダウト ~あるカトリック学校で~ [Blu-ray]ダウト ~あるカトリック学校で~ [Blu-ray]
◆プチレビュー◆
大量破壊兵器の疑惑に振り回された米国を強く意識させる物語。名優同士の競演は凄味がある。 【70点】

 1964年のNY・ブロンクスのカトリック学校。厳格な校長シスター・アロイシスは、新米教師の目撃談から、進歩的で人望のあるフリン神父が、校内で唯一の黒人男子生徒と“不適切な関係”にあるのではとの疑念をつのらせる…。

 もともとは舞台劇でセリフの応酬を見せ場とする本作は、極めて地味な作りである。まず、この物語に事件はない。あったかもしれない事件らしきものについての反応を描く心理劇なのだ。さらに謎解きのカタルシスも存在しない。本当に神父と少年は性的関係にあったのかどうか答えが気になるだろうが、物語の主題はそこにはない。すべてに白黒を付けた世界を望むシスター・アロイシスに対し、フリン神父はグレー・ゾーンと折り合いを付けている。価値観が単純だった旧時代から、より複雑な新時代へ。ケネディ大統領暗殺や公民権運動の高まりを経験し、転換期にあった1964年が背景である理由はここにある。

 きっかけは純真な教師シスター・ジェイムズの確証のない目撃談だ。フリン神父はその少年を司祭館に連れて行き、酒臭い息の彼を教室に戻した。実は少年はワインを盗み飲み、神父は彼をスキャンダルから守ろうとしたと弁明する。安心するシスター・ジェイムズとは対照的に、校長のシスター・アロイシスにはその言葉は、猛毒となって心に染み込んだ。証拠がないことが逆に疑いを大きく育てる展開は、深層心理を突いていて非常に鋭い。

 それにしても、信仰の基本は信じることだと思っていた。なのに、この物語では、疑いは神のために成す行為だとするセリフがある。確固たる信念などは人間ごときが持つべきではないとでも言いたいのか。信仰という形のないものに寄りどころを求めるカトリック学校を物語の舞台に選んだ意味は大きい。神が身近にいるであろうその場所で、登場人物の本性はむきだしになっていく。

 シビアな会話中心のこんな心理劇は、俳優の演技の底力が問われ、ごまかしはいっさい効かないものだ。本作のキャストはこの難局に見事に対峙した。終盤のストリープとホフマンの激論の迫力は、ただごとではない。もっとも、このシーンのみ意図的にオーバーアクト気味のストリープは、熱演がすぎる気もするが。重要な脇役である新米教師のエイミー・アダムスと黒人少年の母役のヴィオラ・デイヴィスも印象的だ。前者は他人の意見に染まりやすく無責任な理想主義を掲げる大衆の姿、後者は息子を守ることを最優先に考える現実派だ。意外な顛末となるラストには、それぞれの“真実”が影を落とす。

 シャンリィ監督自身が明言するように、これは、大量破壊兵器所持疑惑で戦争を始め、証拠もないまま犠牲者を出し続けたアメリカの醜態を照射するものだ。人を疑った先にあるのは、疑いを持つ自分さえも疑う泥沼の苦しみ。シスター・アロイシスは断言した。「私には分かる。私にだけは分かるのです」。この傲慢は、疑い(ダウト)が生んだ産物か。私は無宗教なので不敬を承知で言わせてもらうが、この愚かしい人間たちを神はきっと笑っていよう。

(シネマッシモ評価:★5つが満点)説教バトル度:★★★★☆

□2008年 アメリカ映画 原題「DOUBT」
□監督:ジョン・パトリック・シャンリィ
□出演:メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、他


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