映画レビュー「スピード・レーサー」
◆プチレビュー◆
VFX全開で描く驚異の映像世界。俳優たちの戯画的なキャラがアニメを連想させ楽しめる。 【60点】
愛車“マッハ5”を操るスピードは、怖いもの知らずの天才レーサー。かつてレース中の事故で命を落とした兄は目標であり誇りだ。だが、レース界の陰謀に巻き込まれたスピードは、兄の命を奪った超難関ラリーに挑むことに…。
ウォシャウスキー兄弟が最も影響を受けたと明言する日本のアニメーション。中でもタツノコプロの和製TVアニメ「マッハGoGoGo」は、ラリーとアンディの二人が最初に見た日本アニメとあって、今回の実写映画化にあたっての気合は半端じゃないはずだ。彼らの思い入れは先鋭的なVFXとなって、レーシングワールドを変幻自在のイリュージョン世界へと作り変えた。
天才レーサーが数々の困難を克服して勝利へと至る物語は、いたってシンプル。自分はなぜ走るのかと一応悩んでみせるが、そんなものは“好きだから”に決まっている。家族の支えと悪の組織との対決もお約束通りだ。単純極まりないが、才能ある兄弟監督は、この映画の核をストーリーに置いてはいない。
ウォシャウスキー兄弟は、本作でVFXによる驚きの映像を創造することに全力を傾けた。高解像度デジタル・スチール・カメラで撮った風景を、後からつなげて360度のパノラマを展開し、「マトリックス」で確立した撮影技術バレット・タイムを、さらに進化させたレーサー・タイムを披露。最も力を入れたというレースシーンは、革新的でド派手なヴィジュアルだ。目が眩みそうな極彩色の映像は、五感すべてを刺激するだろう。特に氷のコースの疾走感はエクスタシーを感じさせた。そんな映像の中では、極端にデフォルメされた俳優たちのカリカチュア的演技こそが活きる。クリスティーナ・リッチなど、漫画チックなルックスがハマりすぎて、もはや生身に見えないほどだ。実写とアニメの融合を謳った“ライブ・アクション・カートゥーン”は、まだ改善の余地があるが、この作品が21世紀の映像革命のスタートではなかろうか。
とはいえ、意図的にシンプルに徹したファミリー・アドベンチャーは、お子様向けで、好感は持ててもあまりに他愛無い。斬新な映像に哲学的なストーリーを組み合わせた「マトリックス」は、エポック・メイキングな映画だったが、クリエーターが同じだけに、本作に大人を引き込むカリスマ性がないのは寂しい。日本アニメへのオマージュにしては真田広之の役に物足りなさが漂うし、135分と無駄に長尺なのも欠点を露呈した。
それでもこの作品のワクワク感は否定できない。眼精疲労に耐えて迎えたラストのカタルシスはやっぱり格別だ。エンドロールに流れるヒップホップ風の主題歌には、なんとちょっぴり日本語が!思わず口ずさみたくなる親しみやすいメロディは、きっと記憶に残るはずだ。大スクリーンにはじけるポップアートのような映像の中で、視覚的快楽に身を任せるのも時には悪くない。
(シネマッシモ評価:★5つが満点)カラフル度:★★★★★
□2008年 アメリカ映画 原題「SPEED RACER」
□監督:ウォシャウスキー兄弟
□出演:エミール・ハーシュ、クリスティーナ・リッチ、 スーザン・サランドン、他
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映画レビュー「告発のとき」
◆プチレビュー◆
イラクから帰還した息子の死の真相はまさに狂気。重い人間ドラマだが見応えがある。 【75点】
2004年、元軍人警官のハンクは息子のマイクがイラクから帰還後に失踪したとの知らせを受ける。女刑事エミリーの助けを借りてマイクを探すハンクだったが、予想外の真実と息子の心の闇を知ることになる…。
PTSD(心的外傷ストレス障害)という言葉がある。衝撃的な出来事がトラウマになり、後に様々なストレス障害を引き起こす心の病だ。原因は、地震、火事のような災害、事故、戦争といった人災、テロ、虐待、レイプなど犯罪による被害と、多様で複雑だ。この物語が描くのはイラク戦争の帰還兵を蝕む深刻なPTSDで、実際に起こった殺人事件が基だという。
映画は、いなくなったマイクを探すミステリーとしてスタートするが、彼の行く末は早々に観客に明かされる。マイクはむごい殺され方で遺体となって発見され、そこから物語は犯人探しへと移行。調査の過程で、マイクがイラクで何を見、何をしたのかが明かされるあたりから、ストーリーは凄みを増していく。携帯の動画、ペットの虐待、悲痛な電話の声。計算された緻密な脚本によって、ジワリジワリと近づく望まない真実は、ボディーブローのように効いてくる。父親として軍人として、ハンクが知ることになる息子の姿はショッキングだが、マイクを殺した犯人の淡々とした告白はそれ以上の衝撃だ。「本当に申し訳ありません」と丁寧に謝るその目は、とっくの昔に死んでしまっている者のそれなのだ。正常な人間が戦場で暴力に呑み込まれ、狂気と共に帰国する。なぜこんな事が起こるのかと問うことさえ苦しくて出来ない。
思えばアメリカ映画界には、自己告発や自己批判の伝統がある。特に戦争が人間性を破壊するとの主張はアメリカン・ニュー・シネマ以降、顕著だ。ベトナム戦争に行く前の訓練から殺人マシーンになってしまう「フルメタル・ジャケット」、湾岸戦争を真正面から取り上げた「戦火の勇気」など、枚挙に暇がない。だが、愚かで悲惨な争いは繰り返される。秀作映画がどれほど作られても、抑止力などないのだと思うとやるせない。トミー・リー・ジョーンズがいぶし銀の名演で演じる実直な父親ハンク同様に、米国の現実を思い知らされる。
ただ、かすかな光を感じるとしたら、シングルマザーの女刑事エミリーと彼女の幼い息子の存在だ。男社会の中で奮闘するエミリーと、暗闇の恐怖を自ら克服しようとしている少年。この母子に希望を見出すことを、作り手はきっと許してくれるだろう。
この映画には、分かりやすい答や救いはない。だが劇中に2度登場する、アメリカ国旗を揚げる場面が作品のメッセージを象徴している。逆さまの星条旗は、国家の救難信号の意味だ。米国は今、逆旗をあげねばならない状況にある。名手ポール・ハギスは大上段に構えて反戦を訴えず、あくまで個人の悲痛な体験をとらえた。救いを求める息子からの信号に応えられなかった父親の、深い絶望の表情にあらゆる思いを託して。
(シネマッシモ評価:★5つが満点)やるせなさ度:★★★★★
□2008年 アメリカ映画 原題「IN THE VALLEY OF ELAH」
□監督:ポール・ハギス
□出演:トミー・リー・ジョーンズ、シャーリーズ・セロン、スーザン・サランドン、他
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映画レビュー「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」
◆プチレビュー◆
これぞ冒険活劇ムービー。19年ぶりの最新作には懐かしい顔と新しい顔が見えて、サービス満点だ。 【65点】
冷戦時代の1957年、考古学者にして冒険家のインディアナ・ジョーンズ博士は、生意気な若者マットと共に、伝説の古代秘宝“クリスタル・スカル”を求めて南米に旅立つ。だが、ソ連の非情な工作員もその宝を狙っていて…。
有名なテーマソングを聞くだけで胸が躍るというファンは多いはず。もちろん私も劇中に“インディは蛇が大の苦手”のような旧作のお約束を発見しては、懐かしいなぁとノスタルジーに浸っていた。だが、某サイトで「インディ・ジョーンズってディズニー・ランドのアトラクションだと思ってました。映画だったんですね」(中学生女子)との書き込みを見てしまい、激しくショックを受けている。年をとるってこういうことなのか。なんだか寂しい気がしてきた。
気を取り直して、映画の話を。50年代は米ソ対立の真っ只中で、とりわけ科学技術や宇宙開発の分野での競争は熾烈だ。物語は、宇宙人の遺物を回収したという1947年のロズウェルUFO事件を思わせる出来事を発端に展開し、核実験やマッカーシズムなどの設定が妙に生々しい。不穏な政治の臭いがするアメリカを離れたインディの冒険の舞台は、伝説の古代文明が眠る南米だ。
ちなみにクリスタル・スカルとは水晶の髑髏(どくろ)。とてつもない力を秘める実在の宝物である。物語では、超常現象をあっさり信じるあたりがロマンチックでいかにも50年代だが、強大なパワーを巡って米ソがしのぎを削るというプロットは説得力がある。実際この時代には、宇宙や超能力に関するワケのわからぬ噂が飛びかい、玉石混合のSF映画が山ほど作られた。
正体が分からない宝と共産主義という分かりやすい敵。妙なバランスで進むド派手な冒険の道連れには、新旧の顔が入り混じる。懐かしさと新鮮さの二つがシリーズものの大原則だ。かつての恋人マリオンと再会し驚きの事実を知るが、動揺などするヒマはない。水陸共用の軍用車での激しいカーチェイス、殺人アリとの死闘、滝を3度も転落、と大忙しだ。と言っても、かすり傷一つ負わないインディ御大である。悪役のケイト・ブランシェットが、几帳面で冷徹なソ連の軍人イリーナを怪演するのに対し、時には法や倫理も無視して突っ走るインディのやんちゃな姿が痛快だ。少し老いたとはいえ、ハリソン・フォードの動きには覇気がある。やっぱりこのシリーズの唯一無二の主役はこの人だ。
インディは武道の達人でもなければ、特別な秘密兵器もない異色のヒーロー。武器は豊富な知識と出たとこ勝負の冒険心だけだ。その意味で、今回の宝探しのクライマックスは実に彼らしい。しかもスピルバーグ的だ。勢いが全てのジェットコースター・ムービーに、いちいちツッコミは入れたくないが、どうしてもひとつだけ。核爆発を避けるには、まずは冷蔵庫に入って放射能をやりすごし、その後は身体を石鹸でゴシゴシ洗って、ハイ、おしまい!だ。う〜む、この脳天気。さすがはテーマパークのアトラクションになるだけはある。
(シネマッシモ評価:★5つが満点)大らか度:★★★★★
□2008年 アメリカ映画
原題「INDIANA JONES AND THE KINGDOM OF THE CRYSTAL SKULL」
□監督:スティーブン・スピルバーグ
□出演:ハリソン・フォード、シャイア・ラブーフ、ケイト・ブランシェット、他
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映画レビュー「JUNO/ジュノ」
◆プチレビュー◆
10代の少女の望まない妊娠を、微塵の暗さもなく描く快作。里親制度も含め、日本との違いが面白い。 【85点】
興味本位のセックスで妊娠してしまった16歳のジュノ。中絶は思いとどまり、親友の力を借りて、養子を希望しているヴァネッサとマークという夫婦を見つけて里親の話をつける。それからジュノと周囲の人々の珍騒動が始まった…。
望まない妊娠を描く映画は、シリアスになりがちだ。だが本作には、重苦しい空気はまったくない。風変わりな高校生ジュノのあっけらかんとした態度にとまどうやら笑うやら。でもそんな彼女の内面にも実は色々な葛藤があって…。この内側の悩みと外側の軽味の絶妙なバランスが、リズミカルで心地よい。
何しろ、主人公ジュノが素晴らしくユニークで魅力的なキャラなのである。みんなと一緒が安心の没個性文化の日本では、なかなかこんな女の子には出会えない。妊娠という一大事に対するジュノのビジョンは「これは自分の責任」と腹をくくること。暴言すれすれの発言だって、彼女流のクールな決意表明なのだ。やせ我慢を含むにしても、相手に責任など求めず、泣き言も言わない。実に根性が座っている。娘の妊娠を知った両親が、彼女や相手を責めず、養子に出すという娘の決断を尊重する姿も、日本と違って大いに感心させられる。親と子の関係は、この映画を理解する重要アイテムだ。
この物語には、いくつかの形の親が登場する。実の父と義理の母。二人は共に娘を愛している。さらにジュノが新聞広告で見つけた“親として理想的な”夫婦。里親制度の普及と利用法は、現実的でいかにもアメリカ風だ。弁護士立会いで書類を作り、テキパキと物事を決定する。とはいえ、すべてがドライに処理されるわけではない。理想的と思った夫婦の意外な姿が見えてくるあたりが、この作品の非凡なところだ。ホラー映画やパンクロックの話で盛り上がるマークとジュノの微妙な関係を見せつつ、子供を切望するヴァネッサの切なさを語ることも忘れない。ヴァネッサがジュノのおなかを触る場面は、女同士の母性のつながりを感じさせるものだ。それを伏線にジュノの勇気ある決断へとつなげていく巧みな展開にうなる。予定外のことが起こった時、何を最善とするか。観客も主人公と一緒に考えることになろう。
簡単に先を読ませないヒネリの効いたストーリーを生み出したのは、新鋭脚本家ディアブロ・コーディ。元ストリッパーという超変わり種だ。主演のエレン・ペイジとジェイソン・ライトマン監督と共に、三位一体で観客の心をつかむ。センスのいい音楽やポップなアニメなど、魅力は尽きないが、サラリと描くのは、人が大人になる時に味わう痛みと優しさだ。見かけによらず懐が深い。
最終的にはジュノの隣には誰がいるのだろうか。確かなのは、周囲の愛情と、やっと見えてきた本当の自分の気持ちだ。父親が言う「今度は自分のためにここ(産院)に来るんだよ」という言葉がグッとくる。もはや血縁だけでは家族を構成できなくなった米国社会。その片隅で奮闘する愛すべき女の子ジュノ。この物語は、そんな少女の心のアドベンチャーなのだ。
(シネマッシモ評価:★5つが満点)音楽センス度:★★★★★
□2007年 アメリカ映画 原題「JUNO」
□監督:ジェイソン・ライトマン
□出演:エレン・ペイジ、マイケル・セラ、ジェニファー・ガーナー、他
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映画レビュー「ぐるりのこと。」
◆プチレビュー◆
個人と社会の両方が壊れていく時代の中、決して離れない一組の夫婦。丁寧な人間描写が光る。 【90点】
画家のカナオは定職さえないがのんびりした性格。一方、妻で出版社勤めの翔子は几帳面なしっかり者だ。対照的な二人は、それでも幸せに暮らしていたが、初めての子供を亡くしたことから翔子の精神はバランスを失っていく…。
現代の人間関係は、希薄で実態がつかめない。そんな時代に、人ときちんと係わることは面倒に思える。だが同時に、愛おしい側面も確かにある。この映画は、煩わしいと感じるとすぐに人間関係を断ち切ってしまう価値観に、それでいいのか?と静かに問いかけているようだ。私たちの周辺(ぐるり)では、個人的な風も吹けば社会全体を破壊する嵐も起こる。ミクロとマクロは直接的に繋がらなくても不可分にブレンドされ、そこにある。
そのことを表すのが、この作品の語り口だ。夫婦の歩みを縦軸に、犯罪から見る世相を横軸に描いていく。法廷画家の仕事を始めたカナオが目撃するのは、90年代に起こった連続幼女殺害事件や地下鉄サリン事件など。心を病んで苦しむ妻と、理解不能な悪意で日本中が“うつ状態”の時代は、不思議なほど重なって見える。だが映画は、狂った社会を糾弾するものではない。
物語の中心にあるのは、どんな時も切れることがない夫婦の絆だ。彼らは決して完璧な人間ではない。思い詰める性格の翔子は、女としての幸せの象徴の子供を亡くした時から心が壊れてしまう。カナオはと言えば、生活力に欠けるだらしない男だ。だが、妻の精神が修羅場に直面した時、なんだか頼りなげに思えた夫が、実は強風になぎ倒されてもしなやかに起き上がる葦(あし)のような人間だと分かる。自分の無力を知るカナオは、翔子を決して責めず、ただそっと寄り添った。この優しさが、まるで空気のようにナチュラルなのだ。過去に家族の不幸を経験したカナオは、悲しみとのつきあい方を知ったのだろう。それは愛する人を見捨てないという彼の生き方のランドマークにもなっている。
そんなカナオを自然体で演じるリリー・フランキーが実にいい。見る前は、なぜ本職の俳優ではなく彼なのか?と疑問に思ったが、見終われば、彼しかいないと心から感じていた。翔子を演じる木村多江の鬼気迫る演技との対比も鮮やかだ。このキャスティングを実現させた橋口監督自身、うつ病を患った経験がある。そのせいか、心理描写のディテールが実にリアルで、うそがない。
平凡な一組の夫婦が望んだのは、ささやかな希望の灯(ともしび)だ。「なぜ私といるの?」と病んだ翔子が尋ねる。ヒョウヒョウとしたカナオは「好きだから。一緒にいたいと思ってるよ」とサラリと答えた。この言葉が、翔子の心に再生へ向かう風を吹き込んでいく。心惹かれたのは、夫の仕事にも通じる、絵を描く事だ。翔子が手がけた茶庵の天井画が完成し、夫婦二人が寝転がってそれを見上げる。お互いに突つきあいながら小さく笑った。理解してくれる人がそばにいる。ただそれだけだが、幸せの意味がじんわりと分かった気がする。
(シネマッシモ評価:★5つが満点)慈愛度:★★★★★
□2008年 日本映画
□監督: 橋口亮輔
□出演: 木村多江、リリー・フランキー、倍賞美津子、他
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映画レビュー「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」
◆プチレビュー◆
老夫婦の愛情と罪悪感を静かにみつめる目がシビアだ。女優サラ・ポーリーの初長編監督作。 【65点】
結婚して44年になるフィオーナとグラントは、互いに深い愛情で結ばれ、静かな生活を送っていた。だがある日、フィオーナにアルツハイマー型認知症の症状が現れる。彼女は自ら介護施設への入所を決めるのだが…。
これは“赦(ゆる)す”物語だ。老いを受け入れて、忘れていくことを赦す。過去の過ちを赦し、現在に生まれた愛情を赦す。そして夫婦は新しい愛を得る。
認知症といっても、フライパンを冷蔵庫にしまったり、ワインという単語を忘れたりは“うっかり”程度だ。だが、外出して家に帰れなくなった時、フィオーナは病を受け入れ、施設に入ると決める。一方、グラントは妻が自分から離れることそのものに耐えられずにゴネる。老人介護の苦渋の決断を見る思いがする。施設の描写や介護師の対応もリアルなものだ。同情や綺麗事だけでは、この病には対応できない。しかし、グラントを襲うその後の衝撃に比べたら、寂しさなど序の口だ。施設に入って1ヶ月後、妻は夫を忘れた上、同じ施設の男に恋をしているのだ。記憶の病の悲劇がこんな形をとろうとは。
認知症では、古い記憶は鮮明なことが多く、正気に戻る瞬間もある。夫である自分が分からず、優しいが他人行儀な態度をとるフィオーナを見て、もしや自分を罰するための芝居では…と、グラントが疑心暗鬼になるところはサスペンスのようだ。愛情の傷は心の深い場所で疼いているのである。
なぜグラントは罰せられるのか。かつて浮気で妻を苦しめたグラントの過去の不実を見抜き、女性介護師が言うセリフが印象的だ。「振り返って悪い人生じゃなかったと言うのはいつも男性の方よ。奥様は違う」。進退窮まったグラントが、妻の“恋人”オーブリーの妻マリアンと接するうちに、それぞれの関係は意外な方向へと進みはじめる。
熟年夫婦の老いをテーマに人間を見つめたのは、カナダの若手実力派女優のサラ・ポーリーだ。1979年生まれの彼女は、長編劇映画の監督は今回がはじめて。だが、脚本も自ら手がけ、女優業を2年も休業してまで打ち込んだ本作の出来栄えは見事なもので驚かされる。久々の女優復帰となる名優ジュリー・クリスティを主演に据えたことも、作品の品格を大きく上げた。乱れた白い髪で認知症のヒロインを演じるクリスティは例えようもなくエレガントで、彼女の笑顔は陽だまりのように明るい。その笑顔が夫の苦悩と対になってやるせない。
妻の幸せを願うなら、彼女の恋を応援すべきなのか。この老いた男女は、ある種の極限状態だ。記憶がなくなるということは夫婦の積み重ねがゼロになってしまうこと。そんな時の選択とは、自分も含め、ただ赦すことしかない。それが悲しみを浄化する唯一の手助けになろう。相手のことを思えばこそ相手から離れようと決める。原題の“アウェイ・フロム・ハー”とは、そんな切ない愛の形を表した言葉なのだ。
(シネマッシモ評価:★5つが満点)シビア度:★★★★
□2006年 カナダ映画 原題「AWAY FROM HER」
□監督:サラ・ポーリー
□出演:ジュリー・クリスティ、ゴードン・ビンセント、オリンピア・デュカキス、他
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映画レビュー「アフタースクール」
◆プチレビュー◆
緻密に練られた大人の“放課後”は一筋縄ではいかない。騙される快感はクセになりそうだ。 【80点】
一流企業に勤める木村が行方不明になった。彼の同級生の、探偵の島崎と中学教師の神野は、木村探しに奔走する。だが、追えば追うほどに、今まで知らなかった彼の姿が。女と金の臭いがするこの失踪事件とは…。
何も聞かず、とにかく見てください。本当はこれだけ言ってこの映画評を終わりにしたいが、そういうわけにはいかない。でも、この物語の性質上、ネタバレは厳禁なので深くは語れない。あぁ、ジレンマだ。こんなに面白いのに。
面白さの要因は、緻密に構成されたオリジナル脚本につきる。監督・脚本は、前作「運命じゃない人」で話題をさらった内田けんじ。これを見て楽しんだ人なら、今回もきっと仕掛けがあると予測がつくはずだ。それは正しく当たる。だが、どんなプロットかまではさすがに予想できないだろう。それほどこの映画のストーリーは痛快な驚きに満ちている。
登場人物は数多いが、核になるのは3人の男たちだ。疑うことを知らない神野と、信じることを嫌う島崎は、次々に現れる木村の新事実に振り回される。にわかコンビの二人は、真面目で人がいいはずの木村につながるヤクザや愛人が登場するたびに自問する。「自分は本当に木村のことを知っているのか?」。物語の前半、観客は、彼らの常識が打ち砕かれる状況に何度も付き合うことになるが、後半の信じられない展開に備えて、小さな小道具や何気ないセリフに気を配っておこう。彼らが見聞きしたものには、実はまったく違う意味があって、それが真実への新しい道を“木村探し”という地図に書き加える。車の中にあった指輪の本当の役割を知る頃には、この映画の虜になっているはずだ。
気を配るのは観客だけでなく役者も同じ。伏線を踏まえつつ演技するのは、かなりハードルの高い作業だったに違いない。特に大泉洋演じる神野は難役だ。映画後半でたびたび現われる回想シーンでは、一つの場面の裏の意味や別の役割が示されるが、笑いにも驚きにもとれる演技が絶妙である。一見、三面記事的な失踪事件を、後半でひっくり返す力技は、緻密な脚本と、俳優たちの効果的なアンサンブル演技が互いに支えあって成立している。
“語りたいのに語れない”厄介な映画をあえてジャンル分けするならば、探偵ものだろうか。社会の闇や悪にも触れねばならない探偵稼業。そこで知るのは、人間同士の不思議なつながりと人生の機微だ。綺麗事だけではない世間では悪いヤツの方が上手く生きられるように思える。だが世の中はそう単純でも捨てたモンでもない。映画の最後に、全てが明かされたときの快い快感は、実は物語はシンプルで前向きなものだったと気付かせる。騙されて気分がいいなんて映画くらいのものだろう。その時こそ神野先生の声が聞こえる。「おまえがつまんないのはおまえのせいなんだ」。大人の放課後は、やっぱり奥が深い。
(シネマッシモ評価:★5つが満点)ビックリ度:★★★★★
□2007年 日本映画
□監督:内田けんじ
□出演:大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人、常盤貴子、他
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映画レビュー「マンデラの名もなき看守」
◆プチレビュー◆
ネルソン・マンデラ公認の感動秘話。歴史の隙間には、偉人を支えた無名の人々の思いがある。 【70点】
アパルトヘイト政策下の1968年の南アフリカ。刑務所の白人看守グレゴリーは、黒人の言葉・コーサ語が話せる理由から、反政府運動の活動家ネルソン・マンデラの担当に抜擢される。目的は彼をスパイすることだったが…。
南アフリカ共和国での悪名高い人種隔離政策(アパルトヘイト)の終焉は、1990年代。国際社会から孤立してもなお、つい最近までその差別は公然と行われていたのだ。そんな中、マンデラは、27年間も投獄生活を強いられながら、平等な社会の実現を信じて闘った。後にノーベル平和賞を受賞する彼は、気高い信念を持った偉大なカリスマだ。だがこの映画の主人公はマンデラではない。
主人公の看守グレゴリーは、マンデラという重要人物の担当になったことを出世の糸口と考えて喜ぶ。だが彼は、マンデラに最初に会ったときからその知的で誇り高い姿に魅せられた。マンデラを演じるデニス・ヘイスバードの威厳ある演技で、気高いオーラが伝わるようである。対する“名もなき”グレゴリーの偉大さは、自らの考えを問い直して変化した点にあった。
もともとグレゴリーは権力に従順で、差別を仕方がないことと受け止めている。だが、マンデラの語る理想の社会に憧れるようになり、禁書である自由憲章を読み、規則を曲げて彼に便宜を図った。理想と現実に引き裂かれながらもグレゴリーが正しい道を行く様は感動的だ。“白人の常識”は間違っているのではないか。自分で考え、誤りと思えば改める。勇気を必要とするその行為は、決して易しいことではない。だが、私たち凡人はマンデラにはなれなくとも、グレゴリーには近づけるのではなかろうか。強く揺るぎないマンデラに対し、傷つきながらも確実に変化していくグレゴリー。時に弱さも見せる彼は、身近な存在に思える。これがマンデラの伝記映画でありながら、彼の脇にいた無名の看守を主人公にした作り手の意図に違いない。
デンマークの巨匠ピレ・アウグスト監督のまなざしは、いつもリアルでシビアなものだ。2008年現在、存命の偉人マンデラだが、彼の信念の戦闘的な側面もきちんと織り込んでいるのが目を引く。マンデラは一方的で信用できない和平交渉で「暴力で作られた権力は暴力で倒すしかない」ときっぱりと言い放った。このような闘士マンデラだったからこそ、解放後に白人への報復ではなく人種間の融和を目指したことに大きな意味が生じてくる。
白人と黒人が共に平等に暮らす社会。一人っ子のため幼少期に黒人の少年と遊んでいたグレゴリーは、その素晴らしい理想の世界を本能で求めていたのかもしれない。物語では、彼が黒人少年から教わったスティック・ファイティングの描写が非常に効いている。棒を持って戦う剣術のような独特の競技だ。黒人民族の伝統を表すこの競技に使う棒は1本ではなく2本。映画を見た後は、それは異なる人種や価値観を互いに近づける儀式のように見えた。
(シネマッシモ評価:★5つが満点)歴史秘話度:★★★★★
□2007年 仏・独・ベルギー・南アフリカ合作映画 原題「GOODBYE BAFANA」
□監督:ビレ・アウグスト
□出演:ジョセフ・ファインズ、デニス・ヘイスバード、ダイアン・クルーガー、他
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映画レビュー「最高の人生の見つけ方」
◆プチレビュー◆
名優二人の絶妙な掛け合いが最高。人生にはやりたい事とやらねばならない事がある。 【75点】
家族想いの自動車整備工カーターと独身の大金持ちで傲慢なエドワードは、病院で偶然相部屋になる。何から何まで正反対の二人だったが、共に余命6ヶ月と分かると意気投合。“バケット・リスト”を手に旅に出る…。
バケット・リスト(棺おけリスト)とは、死ぬ前にやっておきたいことを書き出したもの。若くて元気な頃は楽しい空想だが、老いて死を目前にしたらそれは本気で“やるべきこと”になる。カーターが作ったこのリストに同室のエドワードが勝手に項目を付け加えたことから、1枚の紙切れは動きだした。ちなみに、大富豪がなぜ豪華な個室ではなく相部屋なのかという謎の答えは、映画を見て確かめてほしい。その病室では、家族や親戚が次々に見舞いにくるのがカーター。エドワードはと言うと見舞い客は秘書ただ一人だ。この状況で二人がどんな人生を送ってきたかを見事に語る。ロブ・ライナー監督が久しぶりに才能を発揮したヒューマン・ドラマは、笑いと涙の老人バディ・ムービーだ。
老人といっても普通のじいさんじゃない。渋い名優フリーマンとハジけた怪優ニコルソンである。癌で半年後に死ぬ運命の人間を、愉快に演じて笑わせ、泣きの芝居など微塵も見せない。そのくせ、映画なのに、二人が逝った後の寂しさはどうだろう。私はそれほどカーターとエドワードという老人二人が大好きになっていた。欧州、アフリカ、インド、香港。リストに書かれた夢を次々にかなえる彼らの豪勢な旅に、確かに自分も立ち会った。
そのバケット・リストには、そもそもどんなことが書かれているのか。スリルと冒険と愛に満ちた“やり残したこと”が好対照で面白い。例えばカーターは「見ず知らずの人に親切にする」。一方、エドワードは「スカイダイビングをする」。精神的な満足と物質的な興奮。こんな二人が徐々に歩み寄り、変化するのが好ましい。特にエドワードがふざけて書いた「世界一の美女にキスをする」が叶えられる瞬間は、目頭が熱くなる。金儲けばかりに気をとられていたエドワードはカーターの人間性に触れ、価値ある人生を取り戻したのだ。
変わったのはエドワードだけじゃない。勤勉実直なカーターも、実は若い頃、夢をあきらめたことへの苦い後悔がある。家族のために尽くした人生は立派なものだが、チャレンジを恐れたのもまた事実。そんな彼がアフリカでライオン狩りをするときの顔の、なんと楽しそうなことか。カーターは自分に贅沢を与えることに挑戦した。それがどんなに大切なことかは彼の笑顔が教えてくれる。
もちろん末期ガン患者が、医者や家族の意見を無視して世界旅行だなんて…と思う人もいるだろう。でも、それが伝統的にポジティブなアメリカ映画の良さだと思う。名優たちの適度に肩の力の抜けた演技はたまらなく魅力的。その証拠に、人が二人も死ぬ映画だというのに、こんなに溌剌(はつらつ)としているではないか。壮大な景色の向こうで、彼らは今も笑っている。
(シネマッシモ評価:★5つが満点)生涯の友度:★★★★★
□2007年 アメリカ映画 原題「THE BUCKET LIST」
□監督:ロブ・ライナー
□出演:ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン、ショーン・ヘイズ、他
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映画レビュー「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」
ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
◆プチレビュー◆
ダニエル・デイ=ルイスがド迫力の怪演。石油という権力を追い怪物になった男を描く暗い力作。 【90点】
石油ブームに沸く20世紀初頭のカリフォルニア。一攫千金を狙うプレインビューは、幼い息子を連れて採掘を行いながら土地を安く買い占めていた。やがて石油を掘り当てるが、自らの欲望に囚われ常軌を逸していく…。
映画は、プレインビューの人間性をいきなり観客に叩きつける。冒頭、彼が黙々と採掘作業をする場面がそれだ。この約20分のシークエンスにはいっさいセリフがない。誰の助けも借りない。誰も信じない。暗い穴の底にいるプレインビューは狂気そのものだ。どす黒い血“石油”が「人に対して好意を抱けない」と言う彼を主人と決めたとき、油井で大火災が発生し、欲望の雄たけびが響きわたる。毒にまみれながら破滅の道をいく男。それがプレインビューだ。
こんな怪物を演じられるのは、なりきり俳優ダニエル・デイ=ルイス以外にいない。目つきからして完全にイッている。劇中で見せる笑顔や泣き顔が、これまた怖い。この俳優の発するパワーは桁違いだ。さらに彼の気迫は、共演のポール・ダノにも波及した。本作で彼が優れた役者だと気付く人は多いだろう。
そのポール・ダノが演じる若きカリスマ牧師イーライとプレインビューは、宿敵にして分かち難い分身だ。二人の確執が物語の核となる。イーライは福音伝道師だが、根っこの部分は金で動く俗物。彼の権力欲はプレインビューのそれと少しも変わらない。土地買収のために屈辱的な洗礼さえ受けるプレインビューは「私は罪人だ!」と何度も繰り返すが、彼にそう言わせる偽善者イーライも、最後には神を裏切る言葉を吐くことになる。二人のあまりに破壊的な行為に寒気がした。同時に宗教の欺瞞への糾弾にエキサイトする。
主人公の並外れた人間不信と神への憎悪の源は何だろう。私は彼の一風変わった肉親愛が気になって仕方ない。息子を道具として使い、邪魔になったらサッサと遠ざけるのに、どこか屈折した愛情を感じる。それは弟と“決別”するときに流す涙にも混じっている。本能のレベルで血縁を求めた結果、裏切られたことが、彼を怪物にしたのではないかと思えるのだ。
意外なのは、このすさまじい欲望の物語の作り手が、ポール・トーマス・アンダーソン監督ということ。今までのどこかポップな作風をがらりと変え、荒々しく重厚な大河ドラマで絶望を描ききった。ただ、音へのこだわりは健在。ノイズのような不穏なサウンドが革新的で、物語をグッと後押しする。
プレインビューは富と権力にとり付かれたモンスターだ。こんな人間が現在のアメリカを創ったのかもしれない。強国アメリカは石油という黒い血で肥え太ったが、物語は最後に赤い血を流して果てる。欲望の源流はまだ枯れてはいないようだ。口あたりのいいお気楽な物語を好む人には勧めない。だが、本物の映画の迫力を感じたいなら、この作品だ。疾風怒濤の158分に魂が震える。
(シネマッシモ評価:★5つが満点)音響効果度:★★★★★
□2007年 アメリカ映画 原題「There Will Be Blood」
□監督:ポール・トーマス・アンダーソン
□出演:ダニエル・デイ=ルイス、ディロン・フレイジャー、ポール・ダノ、他
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